調布市武者小路実篤記念館

サイトマップ個人情報の取扱

  • 文字の大きさ
  • 小
  • 中
  • 大

トップページ > 資料室 > コラム泉

コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』5号 より2003年10月1日発行

伝えたい実篤先生の心
調布市長 長友貴樹 (調布市武者小路実篤記念館運営事業団理事長)

子どもの時から水のある所に住みたいと思っていたという実篤先生が、70歳になってようやく巡り合えたまち、"調布市"。おりしも調布市の市制がスタートした年であるという、まことに今更ながら運命的なつながりというものも感じておりまして、その思いを深くいたしておるところでございます。

「満八十歳になって」と題する実篤先生の小文の一説に、『二十年後は、僕は自分が生きていれば百歳になるわけで、楽天家の僕もそれ迄生きていたいとも思わない。しかしあと十年生きられれば、僕は僕風の美術館をたてたい希望は失っていない』とおっしゃっています。存命中夢の実現はかないませんでしたが、実篤先生のご意志を継ぎ、旧邸に隣接して記念館が開設できたのは、昭和60年秋、まさに実篤先生生誕百年目にあたる年のことでした。没後、ご遺族より調布市へご寄贈頂きました邸宅・庭園を公開し、記念館では数々の作品・収集美術品などの貴重な資料を展示し、来館者の方に大変好評を頂いております。

実は、30年ほど前になりますが、私どもの年代は、中学生になりますと、男女を問わず実篤先生の「友情」「愛と死」といった本を多くの生徒が読みました。そして、人の生き方について語り合い非常に感銘を受けたことをいまだに鮮明におぼえております。

また、小学校の時分でございますが、私があまり弟と兄弟喧嘩をするもので、ある日、父が何も言わずに、実篤先生の例の南瓜、玉葱を題材として画讃をつけた『君は君 我は我也 されど 仲よき』の色紙を子ども部屋に無言で飾りました。仲良くせよという無言の諌めであったと今でも深く心に焼きついております。

巷間でいわれる「知・徳・体」はもとより大切ですが、偉大な先人、実篤先生の残された「美・愛・真」の心をいつまでも多くの人に伝えていただきたいと思います。