「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。
*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。
雑誌「白樺」は1910年4月に創刊になった。今年でちょうど百年である。通算160号で終刊になったのが1923年8月であった。
その「白樺」160冊の全巻全号の揃いと、ほかに創刊初年度分を含む十数冊が手許にある。亡父・中谷博が学生時代に収集したものである。
亡父は大正9年に大阪から上京し、創設したばかりの早稲田高等学院の一回生となった。同期に尾崎一雄さんがいて、下宿も一緒であった。
白樺派に共感を持っていたふたりは、競争してあちこちの古本屋から「白樺」を買い集めた。この競争は初めのうちは父の方が優勢だったが、西早稲田の古本屋大観堂(今でもある)で、大揃いの「白樺」を一括購入した尾崎さんが逆転する。しかも、これは大正12年初めに、我孫子から京都への引っ越しにあたって志賀直哉が払い下げたものだった。
だがその後、尾崎さんの集めた「白樺」は思わぬアクシデントに襲われる。大学を卒業した昭和2年の春、雑司ヶ谷の素人下宿から引っ越すため、蔵書の整理をしていた時、女中のミスで残しておく方の雑誌まで、持ち主の留守中に、屑やに出してしまったのだ。
いっぽう亡父の集めた「白樺」は、戦災もまぬがれて今もわたしの手許に残っている。そして今までに、いくつかの評論執筆に大いに役立ってくれた。だがわたしも八十才を越えて、いつお迎えが来るかわからぬ年齢になった。そろそろ折角長い歳月をともにして来た「白樺」の行く末を決めてやらねばなるまい。
将来にわたって「白樺」を確実に鄭重に保存管理してくれる場所は、やはり図書館とか文学館などの公的機関であろう。関係のあるいくつかを調べてみた。
そのなかで、すでに「白樺」全冊を所有しているのは、早稲田大学図書館と日本近代文学館、それに白樺文学館であった。また相当数は集めているが、まだ完全でないのが、武者小路実篤記念館と神奈川近代文学館であった。
神奈川近代文学館は、160冊のうち156冊を揃えているが、欠号が4冊ある。幸運なことに、わが家の十数冊の端冊のなかにこの4冊があり、寄贈した。
武者小路実篤記念館と、世田谷文学館のどちらに、全巻全号の揃いを寄贈するか、いろいろと悩むことも多かったが、結論として前者に贈ることにした。亡父の武者小路文学への共鳴と個人的な親密さ、それにやはり武者小路実篤あっての「白樺」なのだという思いが最後の決め手となった。
こうして160冊の「白樺」は、わたしの書棚を離れ、梅雨の明けたある日、調布市へ輿入れしていった。スタッフに見守られ、実篤記念館が「白樺」の良きつい すみか終の住処になってくれることを願っている。
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