調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』21号 より2011年9月30日発行

「トルストイ自筆原稿」
21・0×16・8㎝
ノート片・ペン

この資料はノート片一枚の両面に紫色のインクで書かれており、紙は酸化が進み赤茶け、破けた箇所などもあり、現在の状態は良いものではありません。

武者小路実篤は、昭和11(1936)年4〜12月、当時、ドイツ大使であった兄・武者小路公共の勧めもあり、生涯ただ一度の欧米旅行をしました。

このトルストイの自筆原稿は、旅先のウィーンで購入しました。ウィーンには、8月後半の10日余り滞在しており、この間、街で出会った二人の日本人が、実篤を案内してくれました。

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旅先から安子夫人へあてた手紙(8月31日消印)に、「トルストイの原稿と、ストリンドベルヒの手紙の本物を買つた。トルストイの原稿は三枚あるので友達とわけて、僕は一枚だけ七十円許りで買つた、ストリンドベルヒは三十一・二円だつた。」とあり、入手の経緯を知ることができます。また、ここに書かれているストリンドベルヒの手紙も当館で収蔵しています。

「ウヰンより」(『旅』 昭和11年12月号掲載)には、街中で有名人の筆蹟を売っている店を偶然見つけたこと、尊敬する作家であるトルストイの筆蹟を入手できたことは、大変な喜びであり、「自分の生命の糧にする」と書いています。

これまで、この資料は実篤が欧米旅行先で購入した愛蔵品として紹介されてきましたが、どんな事が書かれているのか検証されてきませんでした。

この度、多くの方のご協力を得て、トルストイ研究者の佐藤雄亮氏(モスクワ大学講師)と、ナジェージダ・ババーエワ氏(元国立トルストイ博物館上級研究員)ご夫妻にこの資料を見ていただく機会を得ることができました。

佐藤氏によると、トルストイは36歳の時に落馬して右腕を折って以降、「地震計さながらの悪筆に変わってしまった」そうで、その特徴的な筆蹟からこの資料は真筆の可能性がかなり高いことが判りました。現在、トルストイの自筆原稿を解読できるのは、ロシアでも限られた方しかおらず、この原稿をナジェージダ・ババーエワ氏が解読して下さいました。

その結果、トルストイの論文「現代の奴隷制」(1900年6月28日完成)の草稿またはメモで、「内容だけでなく表現が一字一句たがわず一致している」ことが判りました。

この論文は、トルストイの領地があったトゥーラ県の農民で、モスクワ——カザン鉄道に計量係として勤務していた、アファナーシー・ニコラエヴィッチ・アゲーエフの話をもとに書かれたルポルタージュです。それは、駅で働く荷役労働者の厳しい労働環境を伝える内容で、佐藤氏によると、「実篤が保存していたのは、ルポのまさに核心部分といってよい箇所でした」。

実篤は学習院の学生時代にトルストイ作品を愛読し、彼にとりその出会いは、小説家になるひとつのきっかけともなりました。また、大正7(1918)年に「新しき村」を提唱したことにも大きな影響を受けており、彼の人生にはトルストイが重要な位置づけにあります。ウィーンでトルストイの筆蹟を購入したことは彼の生涯で思い出深い経験であり、それを生涯愛蔵していたからこそ、現代の私たちもこの貴重な資料の存在を知ることができたのです。

(福島さとみ・当事業団首席学芸員)