調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』23号 より2012年9月30日発行

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小説「初恋」

実篤の人生を動かした初恋

短編小説「初恋」は、『友情・初恋』という集英社文庫の一冊に、有名な「友情」とともに収められているので、読んだことのある人は案外に多いかも知れません。知名度は高くない「初恋」ですが、武者小路実篤の文学を理解するのに重要な作品のひとつであり、実篤本人にとっても大事な作品です。

実篤は、一九一四(大正三)年四月に「第二の母」のタイトルで『白樺』に発表したあと、『第二の母』という単行本をまとめたこともあるし、戦後すぐの一九四六(昭和二一)年には、小説のタイトルを「初恋」に変更し、『初恋』という名前の単行本を作りました。単行本『初恋』のまえがきで、実篤は、「僕の作品にはこの初恋がいかに影響してゐるかは、自分でも驚くべきものがある(略)作家としての僕はまだその影響から完全に脱し切れずにゐるらしい」とまで書いています。六十歳を過ぎた年齢になっても、その影響圏を越えることができた自覚が持てないというほど、実篤に決定的な影響をあたえた初恋(失恋)体験が、ここに、切なく繊細に書かれています。

片思いの中でみずからを知る経験
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志茂テイ(右)と姉のシズ
明治35(1902)年9月5日

実篤は、一見現実そのままを書いているように見えて、実は虚構を取り入れている小説を時に書きますが(たとえば「お目出たき人」)、「初恋」は現実そのままが書かれていると考えてよいでしょう。「初恋」に書かれているのは、武者小路家の敷地内の長屋に暮らす親戚を頼って、女学校に通うために大阪からきた姉妹のうち、妹のお貞さん(本名は志茂テイ)を好きになり、失恋した実篤です。生井知子さんの研究によれば、実篤が満十五歳から満十八歳までの四年間(一九〇〇年四月〜一九〇四年三月)、お貞さんは実篤に近い場所で暮らしました。現代で考えれば、ちょうど高校生ぐらいの多感な時期に、生活圏を共有する三歳年下のとても可愛らしい女の子と、四年にもわたりほぼ毎日顔を合わせるわけですから、そこには異性をめぐる濃厚、複雑な恋愛感情が当然予想されます。

お貞さんは商人の家に生まれ、実篤の家は公卿華族です。当時、武者小路家の方が家の格がずっと上だと認識されていたでしょうが、実篤は「当時、自分は総理大臣になることは実に容易なことだと思つてゐた。(略)しかしお貞さんに恋される資格があるとはどうしても思はれなかつた」と書いています。「地上で一番美しい女」と思うお貞さんと、無邪気にみんなで一緒に遊ぶことはできても、個人的には十人並みの好意しか受けられず、よそよそしく、冷たくされます。並外れた自信家だった実篤は内向しながら、みずからの欲情や生活力のなさ、美しくない容貌などを発見していきます。当時、第一高等学校学生の藤村操が厭世観によって華厳の滝へ自殺を遂げますが、仲間うちで華厳の滝に身投げをする人がいるとすれば実篤だろうと思われたそうです。

「第二の母」の意味

初恋(失恋)は、みずからの能力や努力や意志や純粋さをもってしても、他者の気持ちだけはどうにもならないことがあると、実篤に教え、実篤は大きく変わっていきます。文学に気持ちが向かっていくようにもなります。

実篤が「初恋」を書くことができたのは、お貞さんに失恋してから一〇年経ち、(最初の)結婚をしてからです。初恋の経験、失恋の経験は、誰にとっても大きな影響をあたえるでしょうが、実篤の経験は特別なものであったようです。

「第二の母」という原題の由来については、「初恋」一章ではっきりと説明されています。「自分にとつてはこの女は自分の人生観をすべてかへた。自分を新らたなる人間として生んでくれた。鍛えてくれた。それで自分はその女を(略)第二の母と呼んだ」と。好きでしかたがない相手が自分を好きではないことをリアルに認識し、他者は自分の思うがままになるとは限らないのだと知ることは、他者と自己の関係を構築していくための重要な一歩です。お貞さんに失恋したことは、いわば実篤「第二の誕生」だったといえるでしょう。

初恋の相手から生まれたヒロイン像

「初恋」を読んでいると、「友情」に出てくるエピソードを思い出すことがあります。すでに子どもがいるお貞さんを北海道に訪ねた時に友人が、他の何よりもお貞さんの声をほめたこと、主人公が病気になった時にお貞さんが元気に歌ったり笑ったりしたこと、夏休みに海辺に避暑に行き、ちょっと離れたところにお貞さんたちが泊まっていたこと、やはり海辺で砂にお貞さんの名前を書いたことなど、どれも「友情」のヒロイン杉子を思いおこさせます。お貞さんは実篤の価値観を一変させ、人間の内面を深く考えさせるようにしただけではなく、実篤文学の無垢で活気にあふれたヒロイン像形成にも大きく役立っているようです。

(二松学舎大学・教授 瀧田浩)