調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』1号 より2001年9月30日発行

小田切さんとシンビジウム
堀 公彦(元館長・当館専門員)

記念館が開館して16年余─。

準備段階を含めれば二十数年が過ぎ去ったことになり、感慨もひとしおである。その間多くの方々のお世話になってきたのは言うまでもないが、とりわけ小田切さんは忘れられない人の一人といえるだろう。

「規模は日本一小さいが、内容は日本で一番立派…」と、開館式の祝辞で述べられた小田切進さん(日本近代文学館理事長・当時)の言葉が、いまも耳の奥に鮮明に残っている。

小田切さんには地元のよしみもあって、設立準備の早い段階から助言やご指導をいただいてきた。ご相談に伺えば、厳しい叱責や忠告の言葉にたじろぐことが間々あってさきの言葉は意外にも思えるのだが、その時は、これまでの苦労が報われた─という思いが先に立って、なぜか素直に受けとめることができた。

記念館設立のため最初の話し合いが持たれたのは、79年の暮れも押し詰まったころだったと思う。開館に先立つ6年前のことである。調布市役所の一室に会したメンバーには武者小路家や新しき村関係者のほか、小田切さんももちろん入っておられ、そのときの氏をはじめ参加された皆さんからの貴重なご意見の数々が今日の記念館の骨組みを形造ることになったのはいうまでもない。今日と違って市町村立の文学館というのはまだ珍しい頃で、正直なところ小田切さんには調布市の対応が半信半疑に思えたのだろう。だからこそあえて厳しい苦言を呈されたのだ─と、今にして思う。

記念館からわずか数キロの所にお住まいだった小田切さんは、85年に開館してからも折に触れ、時にはジョギング姿で訪ねてこられたが、そこにはもうかつての厳しい言葉はなく、優しい眼差しで展示をご覧になり、帰りがけには励ましの声を掛けていかれた。

小田切さんの余りにも突然な訃報に接したのは、92年年末のことだった。そのわずか1週間ほど前に、新聞取材のため記者とカメラマンを伴って記念館を訪ねられた折に一緒に収まった写真が小田切さんにとって最後の一枚になろうとは思いも寄らなかったが、そこに何か不思議な因縁のようなものを感じてならない。

開館式の翌朝、誰よりも早く小田切さんはお祝いにと一鉢の花を抱えて駆けつけられた。そのときいただいたシンビジウムが、職員の丹精で今は鉢数も増え季節ごとに記念館のロビーを彩っている。

あれから16年が過ぎた。

開館式でのあの温かい言葉と小田切さんのシンビジウムに見守られながら、記念館がこれからも更に発展を続けていくことを願っている。