調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』38号 より2020年3月31日発行

「オリンピックと文学者」を開催して
小田島一弘
(鎌倉文学館副館長・学芸員)

鎌倉文学館では、昨秋「オリンピックと文学者」という特別展を開催しました。明治に入り、近代文学と近代スポーツの概念が輸入され、それぞれ日本に根付いていきます。そのスポーツを通し国際交流し、世界平和を目指すという理念のもと、第1回近代オリンピックが明治29年(1896)にアテネで開催されました。展示はオリンピックの歴史と文学者の見てきた時代を重ねる内容で、夏目漱石がイギリス留学へ向かう途中、第2回オリンピックを開催中のパリに立ち寄っていたというエピソードから始め、現代までをたどりました。その中で、武者小路実篤が昭和11年(1936)に朝日新聞社の依頼でドイツのベルリン大会を取材したことを、記念館さんより資料をお借りし紹介しました。

ベルリン大会は、ヒトラー率いるナチス党政権が、第一次世界大戦の敗戦から復興したドイツの国力を世界にアピールした大会でした。その大会の開会式の前日に次回、15年(1940)の大会が東京に決まり、大会期間中スタジアムには現地の日本人たちも応援に駆けつけたそうです。そのスタジアムの観客の一人に実篤がいました。

その頃、ドイツ大使としてベルリンに駐在していた兄に誘われ、「画をみたかった」(「一人の男」)と一念発起し欧米へ美術鑑賞旅行に出かけた実篤。当然オリンピックは二の次でしょうが、8月1日の開会式からほぼ毎日オリンピックの競技を観戦し、記事を寄せました。おそらく初めて書いたであろう観戦記は、正直あまりうまくないです。けれど競技を見た素直な感想は、かえってその人柄をうかがわせてくれます。三段跳や女子平泳ぎの金メダルに日本人として歓喜するだけでなく、真摯に競技に打ち込む選手たちの試合運びにも眼を向けて書いています。女子やり投げで善戦した山本定子に「これだけやれば威張つて日本に帰つていゝ」、水泳男子400m自由形では僅差で銀と銅メダルとなった鵜藤俊平と牧野正蔵へ「怪我負けとは言へないから、鵜藤、牧野も良く戦つたと言へる」と熱を持ちつつ、冷静な判断から言葉を紡いでいるところに実篤の視野の広さを感じました。

展覧会で記念館さんからお借りした資料は、ヨーロッパから子どもたちへ送った絵はがきと「一人の男」の原稿です。美術館で絵を見たことや、オリンピックを見ていることを、やわらかい言葉で綴った絵はがきが来館者に好評でした。はがきの内容はもちろんですが、皆さん実篤が「パパ」と署名していることに驚き、そしてそこから作家を身近に感じているようでした。時を超え、観る方に気持ちが伝わる、文学館で働く私たちにとり、これに勝る喜びはありません。貴重な資料をお貸しいただき、ありがとうございました。