調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』3号 より2002年9月30日発行

実篤さんと新しき街・せんがわ
青野 友太郎(実篤記念館友の会会長・せんがわまちニティ情報センター代表)

"新しき街・せんがわ/今日そして明日"と題する小さな連続シンポジウムが、1977年春、公園入口の東部公民館で開かれた。メインテーマは「実篤公園の活きた運営を考える」で、前年4月に実篤さんが亡くなられ、自宅と愛蔵品が調布市他に寄贈されたことを受けて、"共有のものとして"開かれ、遺されたものに、いかに対峙するかの、地元の有志が主体の集まりであった。"新しき街の鎮守の杜に""哲学堂としての実篤記念館を"などの提案がなされた。実篤さんの新しき村運動からの"志の継承とはの議論を深めること"がまとめであった。

……彼にとって文学をやろうと思ったのと、新しい世界を生み出したいと思ったのとはほとんど同時である。『或る男』の一節であるが、"実篤記念"とは、やはりこの二つ、彼の創作活動と新しき村運動の両者を紹介・継承すべきものといえよう。そのためには、作品の展示という静的な場と、新しき村の志の継承という動的な空間が求められる。そして、その前者については、記念館のスタッフ各位が、10数年にわたり、十分にその任を担ってきていただいている。

後者は,5月第2日曜"実篤生誕祭"及び11月第2日曜"新しき村"創立記念祭が、毎年仙川で催されている。全国から集まった人達が、公園・記念館を散策した後、東部公民館の広間で、村の赤飯を食べながら懇談の時をすごす。これらの場は、現在かなり内輪の集まりとなっているが、"新しき村運動"の紹介の貴重な場である。……人間の心の生きる村/誰でも人間らしく生きられる村/自由を楽しんで平等に生きる/美しき村たらんと望むなり(「新しき村の歌」初稿の一節)

先の3回のまちシンポの参加者で、77年4月に"新しき街・せんがわの会"がスタートし、翌78年1月に"せんがわまちニティ情報センター"が発足した。実篤さんが"終の住処"として賞でた、この仙川の地のまちづくりのキャッチフレーズは"新しき街"以外にはない。まちコミ誌『せんがわ・21』は、公園オープンの3ヵ月後の78年8月に、「実篤公園」を特集テーマとして、創刊された。

そして、公園オープン10周年、記念館開館3周年、村創立70周年の節目にあたる88年に、地元せんがわの有志により、"実篤と新しき村"仙川フォーラム'88という連続イベントが開催された。第1回記念シンポ、第2回新しき"村"と"街"の交流サミット、第3回仙川音楽祭という多彩な企画で、記念館や(財)新しき村、仙川青友会、桐朋学園の共催・後援を得て実行された。

21世紀を迎え、全国のむらやまちでは、"新しい社会づくり"の哲学や構想力が求められている。"志の継承"という視点から、現実社会と相渉り、実篤さんの哲学・社会運動面にも大胆な光を当てたい。"友の会"は、その自由な立場から、第2の側面の活動をより活発化していきたい。全国の有志の方々のご教示とご参画を念じます。