調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』4号 より2003年3月31日発行

生きろ生きろ
大津山国夫(千葉大学名誉教授)

大正から昭和にかけて、「改造」という綜合雑誌があった。大正8年の創刊、その名のとおり、ロシア革命以来の社会改造の思潮に棹さした雑誌であった。当時、武者小路実篤はすでに宮崎の新しき村の生活に入っていたが、創作や感想や詩をしばしばここに発表した。自伝小説『或る男』をはじめ、『桃源にて』『愛欲』などの代表作も、その求めに応じて執筆された。

どんな必要があったのか、今はもう忘れたが、たまたまこの雑誌の大正14年7月号を開いたとき、武者小路の『いろいろ』という感想に出会った。31編の雑多な短文を集めたから、『いろいろ』であろう。翌年、それぞれに小題を付け、『いろいろ』の総題は消して、感想集『自然・人生・社会』に収められたが、私はそのことを知らずに、「改造」の方を先に読んだ。後に『生命と貞操』と題された文章が、私を引きつけた。「生命」は、イノチとよむのであろう。

生きろ生きろ、やむを得ず暴力で貞操をけがされたからつて死ぬのは馬鹿だ。生きろ、生きろ人間の生命は貞操よりも大事である。/女の生命から貞操をとるとゼロだと思ふものは女を侮辱するものだ。(中略)貞操を守るものは美しい。しかしそれが人間の全部と心得るな。

現代ならだれにでもいえることであるが、大正期にこのように、これほどはっきりものをいえる人は、とくに男性は少なかったであろう。文壇では、2年前に殺されていたが、大杉栄を思いつくくらいである。未亡人の恋愛や再婚も歓迎しない時代だったから、被害者の自決さえ美談として語られかねなかった。武者小路には、人間の価値を貞操だけで評価してはならない、という信念があった。貞操を奪われた人にも、みずから捨てた人にも、生きろ生きろ、というのが彼の至上の要請であった。

白樺」の創刊以来、彼の模索の核心は、いのち生命と自由と人間賛仰にあった。大正2年の『或る日の一休』では、それらの化身のような一休和尚が、舞台せましと躍動していた。一休は規矩や準縄を超えた、天成のモラリストであり、生気あふれる自由人であった。若いときからそういう人間像にあこがれていた彼が、スターリンの君臨する社会主義運動に同伴できなかったのは当然であった。