調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』10号 より2006年3月31日発行

実篤作品を聴く
川和 孝(演出家)

今回の朗読会(平成18年3月18日開催)は、詩と随筆。そして三女辰子さんの書かれた『ほくろの呼鈴』(1983年刊)から4篇。娘からみた父親像、往復書簡などから実篤像をそっとのぞいてみるような文章が、きっと実篤の姿を想像させるよい機会だと思います。

90歳の生涯で実に膨大な作品を残した実篤の、小説、詩、随筆、戯曲を読むだけでも大変な作業です。この朗読会も終りを知らない企画で、実篤山脈はとても踏破できない感じがします。

実篤のどの作品から入ったか、それこそさまざまでしょうが、私は旧制中学のとき「友情」を読んだのが入口でした。1919年の作品で大阪毎日に連載され、最も多くの人に読まれ続けている小説でしょう。

1950年私は芝居の世界に入り、その視点から実篤をみることになりました。戦前に書かれた「その妹」は戦後三越劇場での宇野重吉、小夜福子、滝沢修、細川ちか子、北林谷栄らの姿が今でも浮かんできます。「愛慾」は戦前築地小劇場と築地座で友田恭助、田村秋子によって上演されていますが、私は松村達雄が主宰していた五〇人劇場といわれた高円寺の創造劇場でみて印象に残っています。1941年文学座により上演された「七福神」はその舞台を想像するだけです。

実篤の戯曲は何と130篇を越し、一幕ものだけでも80篇もあります。私が演出した「ある画室の主」は山本有三の「父おや」と併演しました。俳優養成所の発表会に「かちかち山」「花咲爺」を、そしてこの朗読会の2回目に「一休の独白」「仏陀と孫悟空」「平凡な四人の男の会話」「だるま」をとりあげました。他の場所でもやり、毛呂にある新しき村にも出かけて行って上演しました。第4回朗読会にも「かちかち山」「一休」「負けた一休さん」「たけにすずめ」を。

戯曲は書かれたままでは平面的な文学に過ぎず、上演されて初めて立体的になり、観客の聴覚と視覚に訴えるものとなって、演劇の三要素である「戯曲・演技・観客」が成立することになるので未上演は冬眠と同じです。

朗読会でも黙読しただけでは解らない部分が聴覚に伝えられるのを感じられる筈です。

戯曲、小説を問わず実篤作品には会話がとても多いことを知り、そのリズムこそ彼の作品の発想と表現の問題になるのです。「自由な自己表現をする道として戯曲を選ぶ」と記された文章がありますが、戯曲のみならず、全ての実篤作品には会話が生かされています。

皆さんどうぞ耳を澄まして! 実篤作品を。