調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』11号 より2006年10月1日発行

共に咲く喜び
福田 宏(調布市武者小路実篤記念館運営事業団 理事長)

フランス(以下"仏"と記す)では、押したり引いたりして入る扉では5m以内に続く人がいたら扉を開けたまま押さえて待つ、後続の者が10m位となると、閉めて自分は先に進むかどうかは微妙だという話を世界遺産モンサンミッシェルを案内してくれた日本人ガイドに聞いた。最近は仏の若者でも必ずしも開けて待ってくれない人もいるが、確かにそれが仏のマナーらしい。忙しい日本人は後続の人がいるかどうかなど気づきもせず、自分が入れたらすぐ手を離す人が意外に多く、最近自分もそうしていることがあることに驚き、あのガイドの言葉を思い出す。今はガイドをしている彼も、30年くらい前仏で暮らし始めた時、言葉・習慣(特にマナー)の違いに戸惑った、日本ではあたりまえの事で自然とそうしてしまうことがいけないと言われても困るんだよなといったことが続き本当に悩み、もう帰ろうと何度も思った。でもある時「自分は仏に来てしまったんだ、仏流にやってみてもいいんじゃないか」と考えた時、それまでの頭の中のモヤが突然明け光と青空になった。その土地の歴史・文化に根ざした習慣に慣れてみると、そこで暮らすには実に居心地がいい。そして仏人や文化を理解するうちに、仏だけでなく英独伊その他全欧へと関心が拡がって、その欧州とアジア・日本のこともよく見えてきたという。かといって彼は決して日本人の感覚を忘れてはいない。どちらが良いとか悪いとかではなく、仏人と暮らす時は仏流に、日本に帰った時や日本人に会った時は自然と日本流になる。それが国際理解というものかと自分で納得しているそうだ。

インドネシアからの女の子のホストファミリーになって以来、高校生留学の団体に関わって十数年たってなお、「日本が誇るアニメには夢中だが、日本のマナーや伝統を理解しようという努力をしない。」と嘆きたくなる子が時々いる。そういう時冷静に考えると、では自分がその子の国や文化や習慣を理解しているのだろうかと考える。これでは国際理解は出来ないと改めて反省する。それぞれが生まれ育った文化・習慣を半年や一年で変えられるものではないが、お互いの持つものを尊重しあい、更に大きな理解へと昇華させることを忘れず続けていきたいと思っている。武者小路実篤の「星と星とが賛嘆しあうように 山と山が賛嘆しあうように 人と人が賛嘆しあいたいものだ」とか「共に咲く喜び」といった言葉を思い返しながら……。