調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』14号 より2008年3月31日発行

自然観察会で伝えられること
冨田 広(自然観察指導者・三宅中学校校長)

六年前、突然、記念館の学芸員の方から電話がありました。その内容は、実篤公園での自然観察会の講師依頼でした。武者小路実篤記念館があることや彼の暮らした住居跡が公園になっていることは知っていました。しかし、実篤の人間性を理解するまでは、どうして文学に関する記念館で自然観察を催すのか、その意図が理解できず、いささか狼狽したのを覚えています。

実篤について知っていることは、志賀直哉らと一緒に白樺派を立ち上げたことや、作品に「友情」があることぐらいでした。その他には、色紙に馬鈴薯や南瓜などの野菜の絵が描かれたものを雑誌や温泉旅館の部屋で見たくらいです。あまりにも、実篤について知らな過ぎます。植物の話をするとは言っても彼が暮らした住居跡です。彼が造り上げた庭園です。私は彼の人生観を詳しく知らないのですから、彼が育てた植物の話をしても参加者のみなさんに満足していただけるのか不安でした。

ただ、私は三十年以上、国分寺崖線の植物を観察し続けていました。この崖は立川市から始まり、国分寺市や調布市を通り、世田谷区の二子多摩川付近まで続きます。線のように続く崖ですから、崖線と呼ばれています。十万年前から七万年前にかけて多摩川の流れが台地を削ってできた崖です。崖の所々に湧水があり、その水は田を潤し、やがて、野川から多摩川へ流れていきます。国分寺市の「お鷹の道」や小金井市の「野川公園」、三鷹市の「天文台」、調布市の「深大寺」、世田谷区の岡本付近で見られる崖が国分寺崖線です。実篤公園も崖線の一部です。あえて、実篤のことを理解できるとしたら、彼が国分寺崖線の自然の豊かさ面白さに興味をもって住居を構えたことでした。

実篤は「年をとったら、水のあるところに住みたい。」という願いをもっていました。また、土器が拾えたり、土筆を採って食べたりできる場所を好んでいました。まさに、国分寺崖線は打って付けの場所です。湧水は池を造り、その湧水を求めて縄文時代から人が暮らしています。それらの遺跡や土器が周辺から見つかっています。斜面には武蔵野の雑木林が残り、多摩では珍しくなった植物が観察できます。実篤の願いを叶えるには十分すぎる環境といえます。

崖線の豊かな自然に包まれた仙川の家で安子夫人と幸せそうに過ごしたり、お孫さん達と楽しそうに散策したりしている写真があります。実篤が本当にこの地を好んで暮らしていたことが分かります。冒頭でお話したように、自然観察会について戸惑いもありました。しかし、今は公園の自然を紹介することで実篤の心を垣間見ることができると思っています。もうすぐ、土筆が顔を出します。観察会で土筆料理をしませんか。実篤も参加したがるでしょうね。