調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』15号 より2008年9月30日発行

「屋根裏から出てきた作品の話」
瀬尾典昭(渋谷区立松濤美術館主任学芸員)

私の勤めている美術館で、河野通勢展を開催しました。武者小路実篤は、河野にとって画家として評価、理解してくれる最も信頼のおける人物でしたので、実篤記念館では河野のことを以前より白樺派と交流のある人物として調査研究をされていました。

この画家の回顧展を開こうと思い立ったのは、アトリエに未発表の作品が大量にあるという話を記念館の方に伺っていたからです。ところがしばらく経ってその作品はどうなったかと思っていると、すでに記念館に運び込んでいるというではありませんか。狭いアトリエではなかなか見ることもできなかったものが、天下晴れて見ることができるのです。日程の都合をつけて見に行きました。驚きました。膨大な分量の作品と資料です。いざ展覧会の準備をする段になって、何度も記念館に通いお世話になりました。地下には収蔵庫があって、作品資料が整理してあります。ひとつひとつ拝見し、必要なものは写真に撮りました。そして、未発表だった作品の素晴らしさに、今更ながら鳥肌が立ちました。白眉は、20歳前後に描いた数百枚あろうかとおもわれるデッサンの数々です。岸田劉生に見せたとき、即座にその才能を見抜いたのも充分頷ける話です。そのうちに、アトリエの天井裏にも何かあるはずだ、というご遺族の話で、いま一度アトリエを総ざらいすることになりました。忘れもしません5月の終わりの晴れた日、記念館の方が運搬用の車を持ち込んで、私とご遺族が合流して、一日中かかって、アトリエのすべての部屋と天井裏を捜索しました。天井裏はもちろん何十年分かのホコリです。軽くはない躯ですので踏み外さないよう桟の上を歩き、全身を真っ黒にして奮闘しました。記念館の方は躯をすっぽり覆うまるで防護服のような感じのビニールの服を身に着けていました。でもその甲斐あって、貴重な資料がいろいろと発見できました。こうして新発見の作品資料に出会える時には、私たち学芸員は、何物にもかえがたい喜びを感じるものです。世の中で一番早く、誰も見た事もない作品に接する事ができるのですから。あの時、ホコリまみれになりながら天井裏に座り込んで一枚一枚めくりながら、至福の時を過ごすことができました。

展覧会ができるのも作品があるからであり、そして、それを整理、研究する人がいるからです。今回の作品資料の大部分は、記念館でリストが作られ奇麗にホコリを払い整理されました。あるものは修復され、あるものは額に入れられて。この抜群の整理管理能力は、文学系博物館のなせる技です。その整理ぶりに眼を見張りながらも、私にとっては格段に展覧会の準備がはかどった事は言うでもありません。企画の内容の方に、少ない体力と智力を振向ける事ができたのですから。今さらながら、一つの展覧会を開くということは、そうした人々の積み重ねの連鎖に負うていることを実感した次第です。