「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。
*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。
武者小路実篤との初めての出会いは中学校の頃だったろうか。『友情』という小説に描かれていた、主人公野島の恋愛感情に強く共感して、それまでに読んだ、いかなる小説にも勝るリアリティを感じたのだった。高等学校に進んでからは、強い劣等感に悩まされるようになったが、個性尊重という武者小路の考え方によって、救われることができた。受験ランキング誌のハンドル・ネームには「白雲子」とか「馬鹿一」などの名前を使ったりしていた。
大学の文学部に進み、卒業論文の研究対象として武者小路を選ぶことに、ほとんど迷いはなかったと思う。そこではやはり小説『友情』を中心に論じたが、大学院に進学してからは、武者小路の他の作品を、こんどは宗教的な面から考察して修士論文にまとめた。その成果を踏まえて、最初の『友情』論を大幅に書き改めて学術誌に発表したが、それは、去年初めて刊行した私の武者小路実篤論の中でも、最も大切な章の一つとなった。
今では見かけることが少なくなってきたが、昔はどの家庭にも武者小路の色紙が飾ってあった。幼い頃の私の家にも、じゃが芋や人参の絵に「君は君 我は我也 されど仲よき」という画賛を添えたものがあった。当時は疑問にも感じなかったが、どうして武者小路はこのような絵や短句を書いたのか。小説「友情」の主人公野島は、どうして脚本家を志望していたのか。同人誌『白樺』から人気を得て流行となった「雑感」形式の文章が、どのように武者小路の資質にかなっていたのか。これらの問題は、マルチ・メディアの現代にも通用する解答を求めているように思う。
バックナンバーはこちら >>