調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』21号 より2011年9月30日発行

武者小路実篤と私─友の会会長就任にあたり
今 防人(日本大学文理学部社会学科教授)

まず武者小路実篤記念館友の会会長を長年にわたり務め「友の会」の発展に寄与された青野友太郎前会長に心から敬意を表します。

さて「友の会」と小生の関係は青野氏の紹介によりシンポジウムのパネラーとして実篤先生のご息女、大津山先生とシンポジウムに招かれたことから始まりました。

実篤との出会いは多くの同年代の人々と同様に文学史上の人との認識でした。1960年代前半に大学に入学した私にとり日本文学では太宰治がまだ輝かしい存在であったし海外文学ではドストエフスキーやツルゲーネフなどの方が実篤よりも身近な文学であった。

実篤との再会は自己概念と新しき村を通してであった。

1968年に大学院に進学した私を待っていたのは当時ほとんどの大学が経験した大学闘争であった。1960年の大学闘争が自己の外なる「階級闘争」や「政治闘争」etc.だったのに対し、70年闘争は自己の内なる闘争を伴っていた。この闘争では様々な地位や行動が社会のみならず自己にとっていかなる意味を有するか常に問われた。学園闘争→街頭闘争→機動隊(国家権力)との衝突、というルートでは、大学、国家等の様々な制度を内面において支える自己が問題とされた。共犯者としての自己である。

修士課程に行った学園内外を架橋するはずの地域の活動も共闘する新左翼に幻滅し学園を始めとする様々な制度からドロップアウトするヒッピーの研究(?)へとスライドして行った。未来の革命を現在に生きようとするコミューンは輝いていた。若者の様々な試みは「新しい人間」を模索する試みに映った。若者のコミューンと接するうちに出会ったのが「古き」日本のコミューンであった。一燈園、新しき村、心境部落、大倭紫陽花邑、山岸会、三蔦苑などである。またそれらを創立し、また真摯に生きようとする西田天香、武者小路実篤、山岸巳代蔵、江渡狄嶺などを始めとする群像との出会いであった。60年以上前に理想的「村」(社会)を現実に生きようとする実篤や村人に村の雑誌などを通じて触れることは新鮮な驚きであった。雑誌『白樺』に掲載された実篤の「新しき村宣言」を本屋の店頭で読み直ちに村に赴いた若き女性の存在などは実に新鮮で昔を全て「封建的な」という形容詞で抹殺する歴史観から解放してくれるものだった。

また米国の心理学者・哲学者のウイリアム・ジェームスの主著『宗教的経験の諸相』に出てくる「一度生まれ」と「二度生まれ」という人間の分類に接するに及び武者小路実篤が決して生まれながらの楽観論者ではなく「二度生まれ」の人間であり一旦どん底に落ち込みながら新しい世界に這い上がってきた人物を確信した。この確信は後に大津山先生の研究によりさらに深まった。

自己と他人を同時に活かす道でなければ偽物だという実篤の思想は実に大事だと歳を経るごとに痛感している。社会主義とは難しいことではない。社会とは他人である。主義とは固執すること、大事にすることである。社会主義とは自己だけでなく他人も大事にすることである。武者小路実篤の社会主義はいつも帰るべき一つの原点である。