調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』25号 より2013年9月30日発行

富岡美術館と実篤作品
浅井京子
(早稲田大学會津八一記念博物館特任教授・当財団評議委員)

昭和54年(1979年)8月大田区山王に開館した財団法人富岡美術館は37点の武者小路実篤の書画を収蔵していました。この美術館の収蔵品はほとんど日本重化学工業株式会社初代社長富岡重憲によって蒐められました。美術館になってから収蔵した作品は10点余です。富岡は昭和43年(1968年)から昭和49年(1974年)、実篤83歳から89歳の書画を壺中居での書画展で求めています。というわけで、多くは「共に咲く喜び」「仲よき事は美しき哉」といった賛文の入った花や野菜、果物、玩具の作品です。ただ画面中央に小ぶりの達磨が描かれ、この達磨を囲むように「師よ師よ何度倒れる迄起き上がらねばなりませんか七度迄ですか否七を七十倍した程倒れてもなを汝は起き上がらねばならぬ」と長文を書いた作品は、当時病にあった富岡夫人のためにつくられたと聞いています。さらに材質も時代も異なった小品、昭和25年(1950年)に描かれた油彩の「椿」があります。また富岡は昭和49年(1974年)、実篤の新刊として最後の著書『私の美術遍歴』の献呈を受けています。

私は富岡美術館の学芸員として昭和56年(1981年)夏の「武者小路実篤と朝鮮の陶磁」、昭和58年(1983年)夏「武者小路実篤の書画と染付」、昭和60年(1985年)夏「武者小路実篤の書画(生誕百年を記念して)」平成3年(1991年)度冬「武者小路実篤の書画と明・清の五彩陶磁」、平成8年(1996年)度冬「実篤の絵画と明赤絵」と題して展覧会を行いました。中でも印象深いのは昭和60年、生誕百年にちなみ東京都美術館から実篤の自画像(油彩)を、新しき村から画巻や貼りまぜ屏風を借用しての展覧会でした。40代から画を始めた実篤が、その初期に倪雲林(げいうんりん)やデューラーの模写をしているのを知ったのもこの展覧会でした。年に4回収蔵品で展覧会を行っていた小さな美術館としては、大変きばった展覧会だったのです。平成3年度冬の展覧会では実篤の三女辰子氏に「父実篤」と題して講演会をしていただきました。2階の絨毯敷きの部屋にいっぱいの人が膝をつらねて聞いてくださいました。

その後、大森の富岡美術館は平成16年(2004年)春に早稲田大学會津八一記念博物館に寄贈されました。平成21年(2009年)春には専用の展示室が作られ、平成23年(2011年)3月から4月に「実篤と赤絵磁器」という展覧会をしました。同様の展覧会は大森でもしていたのですが、少し進化したかもしれません。これはお察しの通り志賀直哉の『万歴赤絵』に想を得たものです。富岡のコレクションには万暦のものも含み明時代の五彩陶磁が数有り、中には梅原龍三郎がバラを入れて描いた五彩尊式龍鳳文花瓶と同形の作品もあります。多くの若い人たちが小説家としては知って居る実篤の画賛や書を初めてみて、素直に感応する姿はとても素敵です。「仲よきことは美しき哉」そのまま字義通りに真直ぐ受取ってそうですよねと。年を重ねてしまった私にはちょっとうらやましい。住宅地の中の美術館から大学の博物館へ場所は変わりましたが、これからも実篤作品を通じての交流が楽しみです。