調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』27号 より2014年9月30日発行

実篤先生、実篤記念館の思い出(談)
稲川昭三郎
(当財団理事)

 実篤先生が水のきれいな土地として仙川に引越してこられた当時、私の家は商店街で米屋をやっていました。店の前を実篤さんが中折帽をかぶり、いつも着物を着て、下駄履きスタイルで前かがみ、前へつんのめるような歩き方で、なにかせっかちなお姿でお歩きになっていたのを覚えています。

 私は当時15歳で中学三年生、世田谷の烏山中学校に通学していました。そのため、仙川から電車通学です。その時、電車に乗る実篤さんを時々お見受したことがございます。車内の座席にていつも本を片手に持ち、数行本に目を通してめがねをはずし、周りをキョロキョロと見渡す、その姿も印象として残っています。

 実篤さんがお住まいになられた土地は、当時、入間町荻野という地番で、そこは湧き水が豊富に出るところで、沢ガニ、小魚類がいっぱいいました。私も滝坂小学校の帰りなどに寄り道してよく遊んだ所です。たしか、大きな鳥居もあったと思います。

 また、今から26年前、“実篤公園オープン10周年” “記念館3周年”、“新しき村創立70周年”ということで、タウン誌「せんがわ21」編集者をはじめ、仙川地区を中心とする地元の市民、商工農業者、学校関係者が集い、“せんがわフォーラム88”、“実篤生誕103周年に集う人々”と銘うって学習会や講演会を催しました。講演会では桐朋学園の皆様にも大変お世話になり、学園内のホールをお借りして催しました。

 東部公民館で開いた学習会には、今は亡き実篤さんの三女・辰子さんも出席して頂き、生前の実篤さんについてのお話しをして頂きました。笑顔が優しい方との印象があります。

 また、“仙川フォーラム88”にあたり、その一環で埼玉県毛呂山にある“新しき村”を訪問し、村内を案内して頂き、食事もごちそうになりました。村の運営では一ヶ月3万円皆平等、一日の労働時間6時間、あとはそれぞれの自由時間を過ごす。まさにその共同生活のあり方こそ、実篤さんの理想とする“新しき村”の精神、自己を生かす、そのために他人の自我を害してはいけない、お互い自己の生き方を大切にして進む。大正7年(1918年)に創立した村が実篤さんの掲げた旗印を降ろすことなく現在もいきつづけている存在に、今さらながら敬服しております。

 最後に実篤さんの詩で私の大好きな詩2つ、“君は君、我は我也されど仲よき”、“この道より我を生かす道なしこの道を歩く”

 凡人ではできないと思いますが、常に自己を生かす道を見つめ、いくつになっても理想を持ちつづけ、つき進む姿勢、万分の一でもよい、自分もそうありたいと常日頃教訓としております。

 実篤ご夫妻は終焉の場所として仙川をこよなく愛して下さった、そして大きな遺産として“実篤公園”と“実篤記念館”を市民はじめ多くの人に遺してくださいました。我々の使命は、これを次世代に継承していくことであると強く思います。