調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』28号 より2015年3月31日発行

河野通勢展を通じて
岩切信一郎
(新渡戸文化短期大学教授)

昨年から今年にかけて、はからずも河野次郎・通勢親子の画業再評価をめざす企画展が開催された。一つが父親の方の次郎没後80年を経て実現した「河野次郎と明治・大正の画人ネットワーク」とする初の展覧会で、足利市立美術館、栃木県立美術館での開催で、もうひとつが記念館主催の子息通勢に焦点をあてた「河野通勢展〜その描写と想像の世界〜」であった。

河野次郎は、西欧に倣った美術教育出発点にあって、最初の師範学校教師であった。暗中模索の中で実に真面目に教材も教育も手作りで取り組み、後に教育界を離れ、長野の代表的写真館の主人となった。そして、その子通勢にあっては、多くの遺作品が記念館に収蔵され、今回良き機会を得て蔵出しのお披露目となった。武者小路実篤と通勢とは、『白樺』や新しき村の活動を通じて密なる交友があったことからも貴重な作品の妥当な居場所を得たわけである。

この展覧会関連の講演会で私は「河野通勢に見る文学の挿絵」と題してお話しをさせて頂いた。実に『白樺』的な生き方をした親子で、実篤が主張した「自己を生かす」を先に体現させた生き方であった。人道主義で、宗教活動に美術作品制作に、自らに正直な生き方を選び、それがゆえに親子の軋轢も免れなかった。講演ではそんな話も織り交ぜたが、主は挿絵画家としての通勢の生き方や魅力についてであった。

個人的なことながら、私は高校時代から『白樺』派の人々の小説作品が好きで、特に志賀直哉先生に私淑し、強引にも先生にお会いしたこともあった。しかしその後、近代美術の新たな領域の版画、装幀や挿絵の分野に感心を持って、河野通勢に注目し、岸田劉生や木村荘八へ広がって行った。そんな中、『白樺』初期の同人たちが熱狂した画家、ドイツのハインリッヒ・フォーゲラーの銅版画展をリッカー美術館で開催する幸運にも恵まれ、北ドイツのヴォルブスヴェーデに調査と展覧会準備に訪れたこともあった。

また、勤務した新渡戸文化短期大学(旧東京文化短期大学)では、創立者が森本厚吉で、有島武郎とは札幌農学校依頼の親友であり、共に新渡戸稲造門下、共に渡米し研鑽する中で、さらに帰国御、森本を代表に文化普及運動を展開した。機関誌『文化生活』には武者小路実篤、柳宗悦等も寄稿しており、こうしたことも私にとっては『白樺』関連のこととして興味深く研究に取り込んでいった。思想としての『白樺』、「文化生活普及運動」も重なるところがあって、それは神島二郞著『近代日本の精神構造』に述べられたところでもあった。

したがって、『白樺』の人脈を「文学」に限定することなく広がりをもって検討することが出来たのは幸いだったと今は思っている。『白樺』を文学に限定するのは惜しい気がする。その中心であった武者小路実篤に対してももちろんだが、『白樺』研究は「運動」として持つ価値をもっと認識する必要があるのではないかと思うことしきりである。