調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』32号 より2017年3月31日発行

河野通勢旧蔵資料調査から
青木加苗
(和歌山県立近代美術館学芸員)

平成28年(2016年)度、和歌山県立近代美術館が中心となって、「動き出す!絵画 ペール北山の夢」展を、東京ステーションギャラリー、下関市立美術館とともに開催しました。タイトルにある「ペール北山」とは、和歌山市に生まれた北山清太郎(1888年から1945年)という人物の愛称です。北山は、明治期の水彩画ブームや雑誌『みずゑ』を通じて美術に関心を持ち、自らも『現代の洋画』等の美術雑誌を発行して欧州の美術を積極的に紹介するようになります。そして岸田劉生や木村荘八たちとの関わりや、彼らのグループ展開催、機関誌の発行を通じて、大正初期の前衛的な美術運動を陰ながら支えました。当時紹介された西洋美術に始まり、フュウザン会から草土社までの新たな表現を紹介した本展の開催にあたり、記念館からは河野通勢の《梨のある静物》(1915年)と《風景》(1916年)をご出品いただきました。

作品の拝借はもちろんながら、記念館のみなさまには、その準備段階から大変お世話になりました。というのも、画家ではなく美術雑誌編集という北山の仕事を中心に据えた展覧会を組み立てるために、美術雑誌や複製図版といった資料が当時の画家たちにとってどのような意味を持っていたのかを、実資料を元に検討したかったためです。記念館には河野通勢旧蔵の複製図版を含む資料がまとまって収蔵されていると知り、対象が十分に絞り込めていない手探りの段階ではありましたが、まずは資料の閲覧をお願いしました。伺ってみると、それらはすでにひとつずつ袋に入れられ、番号が振られ、大まかに分類がなされて書庫の保存箱に入れられていました。作家の旧蔵資料として必要な整理が済んだおびただしい数の資料の山、そしてそれらを快く調査させてくださる研究施設としての態度、記念館の先輩学芸員のみなさまのお仕事を前にして、背筋が伸びる思いがしたこと、そしてこれらを調査させて頂くからには、美術雑誌と複製図版についての研究を一時的な展覧会準備で終わらせられないと感じたことを覚えています。

そうした資料をひとつひとつ捲り、撮影する作業を通じて、当時どんな書籍から複製図版が切り抜かれていたのか、裏面には何が書かれているか、色彩の再現性、紙質、父 次郎の時代の複製図版との違い、西洋美術にあこがれを抱いた若き一読者としての河野の姿など、その後の研究に必要となるいくつかの基準軸を得られました。本展覧会を通じて、現段階での研究成果をお伝えできたでしょうか。

さて当館での会期を終えた直後、それまで張りつめていた緊張感がふと緩みそうになっていた時に、本稿のご依頼を頂きました。そこで改めて記念館での調査写真を振り返ると、以前は気づかなかった当時の雑誌製作に関するヒントが出てきました。この仕事はまだまだあるのだから一休みしている場合ではないよと、どうやら河野と記念館の先輩方から、喝を入れられたようです。