調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』33号 より2017年9月30日発行

時代を超えて響く実篤先生のことば
谷口 晃平
(DMM GAMES『文豪とアルケミスト』プロデューサー)

『文豪とアルケミスト』と言う文豪をモチーフとしたゲームを制作しておりますDMM GAMESの谷口と申します。

この度ご縁がありまして、武者小路実篤記念館様とのコラボ実施に至り、このコラムのお話をいただいた次第です。当ゲームは実篤先生はじめ近代文学の文豪達が登場するのですが、遊んでいただいている若い方々にこれをきっかけとして文学に興味を持ってもらえれば、と言う思いで製作をしております。

さて、しかし実篤先生を果たして文豪と呼んで良いのかどうかは私自身悩ましいところであります。小説家であり詩人であり思想家でありながら、村まで作ってしまう実篤先生は到底文豪の枠には収まりません。ですが白樺派の旗手として、近代文学史を語る上で欠かせない存在でもありますので、当ゲームには「文豪としての実篤先生」が登場します。

私が初めて触れた実篤先生の作品は、大学生の時に読んだ『友情』だったかと思います。おそらく多くの人がそうであったように、近代文学らしからぬ爽やかさと情熱に心惹かれました。文学とは”こうあるべき”論が蔓延っていた時代に、芥川龍之介が「文壇の天窓を開け放った」と表現したように、書きたいものを書くと言うその情熱や思想は今日の私達でも作品から感じる事ができます。

そして今回、ゲームを製作するにあたり大学生の時以来久しぶりに実篤作品に触れる事になりました。そうするとやはりと言いますか、大学生の頃とは若干感じ方が異なる訳です。太宰治の『人間失格』に見られるような苦悩は、おそらく若い頃に誰しもが経験するもので私も御多分に漏れず太宰に没頭した口であります。しかしこうして太宰が晩年の作品群を書き上げた年齢になってみますと、淋しい事ではありますが、少しばかり冷めたような、俯瞰な目線でその苦悩を見つめる自分がいるのです。

一方で実篤先生の言葉は反対に、若い頃にはそこまでの深みを感じなかったのですが、この年齢、そして今この時代に改めて読み返すと、非常に重みのある言葉として胸に落ちて来ます。現代の若者は時代に対する閉塞感を感じている、とよく話題になります。満足できない現在と、希望の持てない未来。インターネットやSNSを見れば今日も嫉妬や羨望、暗くなるような話題が満載です。

そのような時代において、当時の息吹そのままに爽快感や情熱を与えてくれる実篤先生の言葉は、今再び、時代を超えて私達の心に響くのです。

─自分達は後悔なんかしていられない、

─したいことが多すぎる。

 そうなのです。私達には暗い物事ばかりに目を向けている暇など無いのです。

─進め、進め。