調布市武者小路実篤記念館

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コラム泉

「コラム泉」は、実篤の思い出、実篤記念館の活動についてなど、
ゆかりの方々にご寄稿いただいたもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』36号 より2019年3月31日発行

武者小路実篤先生邸に一泊
寺島洋
(一般財団法人新しき村理事長)

新しき村の人がはじめて調布の先生の家へ伺った話しを聞くと、大概は先輩に誘われた話しを聞く。用もないのに一人では行きづらいのだ。先生も心得ていて、行った人は皆いゝ思い出を貰って来る話しをよく聴く。自分も始めて訪問したのは、今は亡き河内光延兄に誘われたと思う。玄関から声をかけると先生が出て来られた。

家の奥では人の集まりがあり、その人達の声がした。老人会か、新年会だったのだろう。先生は池の鯉を見て来るように言われたが、上れとは言われなかった。二人も、その集まりの中へ入って行く勇気はなく、池だけを見学して帰った。志賀さんの文章だったか先生の文章だったか、ある時、先生が自分が歳をとったら庭に池のある家に住みたいと言ったら、志賀さんは、君はもう老人だよと言われたと言う。先生は、自分が老いたことに気付かなかったのか、調布の家に住むに至った経緯は知らないが、志賀さんに気付かされたからと想像した。その文章だったか、志賀さんは、武者は庭の真中に道路の通っている土地を買ったと笑ったそうだが、その時の訪問では、道のことは忘れていた。庭の外に添って道があるのは見えたが、その向うに庭があり、池があるとは判らなかった。それが判ったのは先生の死後、家財の処理を手伝いに伺った時だった。家から出る書類や紙や手紙の類を廃品業者に出さず、下の池の隣に穴を掘って燃やしていた。庭の中に通っているという道路を越して、そこへ運ぶと、渡辺貫二さんが、それらを調べたら燃していた。周囲はまだ住宅がなく、畑だった。やがて、貫二さんが用事が出来て、自分に変わって燃やすように云った。貴重な手紙があったらよけておくのが役目だった。交際の広い先生のことだから、どんな名士の手紙が混ざっているかもしれない。志賀さんの手紙でも燃やすことになると大変だ。併し、既に家族の手で選り分けられた紙類にある筈がなかった。吉永小百合自筆の年賀状と香川京子の年賀状をよけておいた。

瀬下四郎さんが先生の空家を一時管理していたことがある。その時、村のKと和室に泊めて貰ったことがある。鴉の声に目覚めて、庭の池や樹木を和室から眺めると、一時先生宅の住人になった。庭に池があり、小鳥が来るのを楽しんだ。