調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』3号 より2002年9月30日発行

回覧同人誌時代の詩稿

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当館では武者小路実篤の回覧同人誌時代の原稿十篇を所蔵していますが、このうち四篇が詩稿です。

その一篇、散文詩「日はのぼれり」の原稿は、末尾に〇八、一一、二六と日付が書かれ、一九〇八年(明治四一年)に執筆されたことがわかります。これは、現存する実篤自筆の作品原稿としては、最も古いものの一つです。

原稿を見ると、題名が「死」から現在のものに改められており、詩の内容と照らしても、この改訂から、既にマイナスからプラスへと思考のベクトルを転換する実篤のありようがうかがわれます。

実篤はこの年四月に処女作品集『荒野』を出版した後、七月から志賀直哉、木下としはる利玄、おおぎまちきんかず正親町公和との勉強会〈十四日会〉で回覧雑誌「」(当初は「暴矢」)を始めています。この作品が実際に掲載されたかどうかは確認できませんが、まさにこの同人雑誌時代に書かれたもということになります。

「望野」やその後の「白樺」などの回覧雑誌は、回覧が終わってある程度たまってくると、綴りを解いて、作者に原稿を返していたことが、同人たちの日記などから判っており、実際に志賀や木下の原稿は多くがそれぞれの手元に保存されていました。この原稿もそうした一つですが、実篤の場合は、元園町の生家が関東大震災で焼失したこともあってほとんどが失われ、これら現在当館が所蔵している原稿が残ったのは、幸運としか言いようがありません。

本題からはそれますが、ここでいう「白樺」は雑誌『白樺』とは別のものです。〈十四日会〉が「望野」に継いで明治四二年九月から始めた回覧雑誌で、後に雑誌を創刊する際、正親町の強い要望でこの誌名が継承されました。

残りの三篇のうち、「過渡期」には六、一六、「心中の賊、山中の賊」には六、一七と記され、年記はありませんが、「自分は父と母の子だ」の末尾には一〇、六、一六(明治四三年)とあり、月日が同日と翌日のものであることから、これらは続けて書かれたと見てよいでしょう。

この年、明治四三年は『白樺』を創刊した年です。日付から、創刊の二ヶ月後の作品ということになりますが、しかしこれらは『白樺』には発表されていません。

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「日はのぼれり」も含め、この四篇は未発表のまま散逸し、長く埋もれていましたが、後年、新しき村の会員・石川弘氏が他の回覧同人誌時代の原稿と共に偶然古書店で入手し、再発見されました。綴られていた冊子の見返しには「五十一、二年たった 一九六一年一月一四日再見 武者小路實篤」と、書き込まれています。

四篇は、いずれも短い作品ですが、意欲と希望に満ちた、若々しい生命力のほとばしりを感じさせる高い調子で、強い自己肯定と自負、そして生命賛美を唄い上げています。

その後、昭和四四年に石川氏も編集に加わった詩集『人生の特急車の上で一人の老人』(昭和四四年三月 皆美社)を刊行する際に収録され、執筆から六〇年を経て初めて世に出ました。

『荒野』の再刊・再録はかたくなに拒んだ実篤も、これらの発表はためらいませんでした。

(伊藤陽子 当館学芸員)