調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』6号 より2004年3月31日発行

河野通勢画「風景」
一九一六年四月三十一日
油彩・キャンバス
60・5×90・9 cm

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河野通勢は昭和三年に東京の郊外、小金井に移り住み、昭和25年に亡くなるまでこの場所で暮らした。現在もアトリエだった建物が、当時の面影をとどめて残り、そこに河野通勢の様々な下絵や挿画、参考にしていた複製画や浮世絵、展覧会の資料が一杯つまった木製のキャビネットがある。

このキャビネットの資料を調査させていただいている中で、抽出しの奥底に、キャンバス枠から剥され、仕舞い込まれていたこの「風景」を初めて確認した。

この時の作品は、ほこりやカビ、ヒビなどもあり、一面薄いベールに包まれているような状態であった。しかし、木々の葉や草などの表現は河野の細密描写をよく伝え、その作品が持つ力は、見るものに迫ってくるものがあった。

そして、この作品は、特別展「思索の描写~河野通勢と実篤」を機会に河野明夫氏より当館へご寄贈いただき、その後、修復を行い、写真で見ていただくように、作品はよみがえった。

この作品は、一九一六年(大正五年)、河野が二一歳直前になる、長野時代の作品である。この頃の河野は、すでに二科展に入選していたが、自宅近くの裾花川の河岸にある河柳の周辺を中心に、多くの風景画を描いていた。前年には岸田劉生や関根正二との出会いもあり、画家になるべく、研鑽を積んでいた時期である。

この作品で特徴的な点は、細かく描き込まれた木々の葉や草の表現である。前年に描き、この年の二科展で入選した「風景」(長野近郊)(一九一五年、長野信濃美術館蔵)などに見られる、執拗に描き込まれた重厚感さえある、力強くうねるような線から、草木の一本一本、一枚の葉さえも表現しようとする、繊細な線を描く表現へと変化が見られ、風にゆれる葉や木々の動きさえも感じさせるものである。

河野はこの作品をはさんで、二つの油彩画を制作している。二月一七日の「三人の乞食」(長野信濃美術館蔵)と、五月一五日の「風景」(八十二銀行蔵)であるが、いずれも草木の描き方にこの作品と共通する表現がある。また、この時期の風景画は、人を描くことで、そこに何か会話や人々の情景を見る側に想像させ、河野の絵画に見られるもう一つの特徴である、物語性も描き出している。

画面右上には、他の作品には見られない飾り文字、カラスとも鷲とも見られる鳥を描く、不思議なものが書き込まれている。サインは「M」「K」の飾り文字として、いくつかの作品に見られるものに近いが、同一ではない。これらは何か、デューラーのサインや、西洋美術の画集から学び、自身のサインやトレードマークを作ろうとしているようである。

この頃の河野の心情を知るものとして、同年十月のノートが残っており、この表紙裏には、文展に出品した三作品の落選通知が貼られていた。その冒頭に河野は、「自分の素描は筆に力強く、筆に創作を生んで居る。二十一才のダウインチの素描に私の風景の素描は肉迫し得て居る。」と書いており、その自負心と素描力に自信を持つ様子がうかがえる。

河野は、翌年末に画家になるため東京へ上京した。その後は、以前から描いていた自画像や聖書を題材にした作品が多くなり、風景画は少なくなる。この作品は、初期の注目される時期の風景画として、彼の画風を考える中でも注目される作品である。記念館としても実篤の交友のあった画家の特徴的な作品を収集することができ、貴重な所蔵品となった。

(福島さとみ)