調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』8号 より2005年3月31日発行

「李朝の壺といちはつ」
「私の八十七回の誕生日」
一九七二年五月十二日(昭和47年)
画/紙本墨画淡彩・軸装  46.4×35.4cm
書/紙本墨書・軸装    28.0×35.0cm

今年、二〇〇五年(平成十七年)は、武者小路実篤の生誕(一八八五年・明治十八年)から一二〇年を迎えます。

この双幅の書画は、実篤満八十七歳、数えで八十八歳、米寿を祝う誕生日にかかれた作品です。実篤にとり誕生日は人生の節目として特別な日であり、この日に制作された書画は新しき村美術館に何点か所蔵されていますが、当館の所蔵品では自らの誕生日に制作した作品として記録が追える唯一つのものです。

若き日に『白樺』誌上で西洋美術を盛んに紹介してきた実篤ですが、自身で画をかきはじめたのは、四十歳頃のことです。以後、毎日のように絵筆をとり描き続けることで、少しでも進歩するように制作に励んできました。

実篤の書画では、油彩画は制作年を書き込んでいますが、淡彩画や書はある時期まで「實篤」の署名と落款のみで、制作年が判る記載は特別な場合を除き、書き込まれませんでした。

いくつかの実篤の書画を見ると、署名が違う作品と出会います。これは、実篤が八十歳を迎え、以後、満年齢を添え、署名を旧字の「實」から新字の「実」とし、「実篤」に替えたからです。この作品が描かれた年は「米寿」を迎えた年で、満年齢の「八十七歳」よりも「米寿」を添えた書画が多く制作されています。

実篤が書画に年齢を添える時には、実際に誕生日を迎えなければ、新しい年齢を書かず、先じて書くことを断ったと言います。

実篤の書画は八十歳半ばを過ぎると、筆力が弱くなってきますが、この作品は誕生日を迎え、真剣に線を描いたことがうかがわれる力作です。

誕生日にまつわる作品として、昭和二十年、終戦後の混乱の中で書いた小説に「愚者の夢」(原稿当館所蔵)があります。当時、社会的には戦後の困窮した生活の中、不安を抱える時代でしたが、作品では二十年後の日本を取り上げ、地方の町にも図書館や美術館ができ、人々が文化的な生活を過ごせる社会を想像し、主人公が八十歳の誕生日に際して、これまでの感謝の気持ちを詩に托し、朗読する場面で終わります。

実際に二十年後の実篤は、この詩を自身の八十歳の誕生日に朗読しています。その頃には実篤が想像したように日本は復興し、各地に文化施設が建設される時代となりました。

誕生日を迎えるということは、実篤にとり人生の励みでもあり、賢くなることを意味しています。実篤は年を重ねて、老いることが悲観することではなく、「経験を積み重ね、ますます賢くなることを意味し、その賢さが人間の信頼や尊敬につながっている。」と考えていました。

生きているうちは生きることを一生懸命考え、何事にも前向きな姿勢で実践し続けた実篤にとり、自分の誕生日はひとつの目標であり、書にある「八十八回目の太陽のまわりをこの地球にのって旅立つ」ように、新たな出発点となる希望の日でした。

(当事業団首席学芸員 福島さとみ)