調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』11号 より2006年10月1日発行

夏目漱石からの書簡
大正3年12月21日
封書(封筒欠)・巻紙・毛筆

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この書簡は、実篤が自著を送らなかった理由として、漱石の周辺の人々の名をあげて「虫が好かない」と書き送った手紙への返信です。若い頃の実篤は、『白樺』の六号雑感などに見られるように、他人の言動に神経質に反応し、むきになって反論するあまり、表現が穏当を欠くきらいがありました。

ややもすれば失礼ととられかねないところですが、これに対して漱石の返信は「失礼ですがもう一度あなたに手紙を差上たくなったから読んでください」と、穏やかに語りかけるような文章で書かれ、不快に思うどころか、「あなたが正直なことを云はないでは居られない性質を持ってゐるのが私には愉快」と返していて、実篤の率直を正確に受け止めていることが分かります。本文が1.5メートルにもおよぶこの長文の書簡からは、全体に実篤への親愛と共感が感じられます。

実篤は、文壇に先輩を持たないと宣言していますが、漱石は別格でした。「夏目さんを日本で一番尊敬してゐた」(「或る男」百二十四章)といい、自身の本格的な文学活動の最初の一歩となる『白樺』創刊号(明治43年4月)に発表したのは、漱石の「それから」についての評論でした。これを読んだ漱石から礼状をもらった時には「それをよんでをどり上がつてよろこんだ。」と書いています(「或る男」百二十五章)。

その漱石から示された自らの本質に対する理解は、実篤にとって、なにものにもかえがたい喜びだったに違いありません。この手紙を受け取った直後に書いたと思われる『白樺』大正4年1月号の「雑感」で実篤は、「なぜ夏目さんを尊敬する」「あの人には普通の人よりノーブルな神経があるからだ」と謳っています。

実篤が漱石からもらった手紙は、漱石全集の書簡編に収められたものだけでも14通ありますが、現存するのはわずかにこの1通だけです。その事情につては、この書簡が収められた桐箱の蓋裏に、実篤の自筆で次のように書かれています。

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「僕が夏目さんから戴いた手紙は全部大地震の時に元園町で焼かれました。処がこの手紙はぬすまれて他の封筒に入れられて、賣りに出されたので又手に入れる事が出来ました。そしてこのかたちで僕の手に入ったのです。よかったと思っています。二十万円で買ったとおぼえています。千九百七十二年十二月二十九日」

大地震とは大正12年9月1日に発生した関東大震災のことです。この時麹町の実家に残っていた実篤の思い出の品々は焼失してしまい、盗まれたものだけが被害を免れたというのは、なんとも皮肉です。この書簡は巻子に仕立てて売られていたのですが、末尾に貼り込まれている封筒の日付は7月18日となっていて、本文とは違っています。

この書簡を買った時期については、蓋裏の年記より前であることしかわかりませんが、昭和40年代以前の二〇万円は、この間にアイスクリームやコーヒーなどの価格が4〜6倍になっていることを鑑みると、現在一〇〇万円以上に相当する金額です。実篤にとっては、それほどを費やしても取り戻したいだけの思いがあったのです。そして生涯この書簡を手元に置きました。

実篤の死後、他の文学資料とともに東京都近代文学博物館に寄贈されましたが、平成14年3月の閉館に伴い、当館の所蔵となりました。

(伊藤陽子 運営事業団主任学芸員)