調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』14号 より2008年3月31日発行

『馬鈴薯』表紙原画
武者小路実篤 昭和16年 
紙本墨画淡彩 22・0×15・5cm

「芽出たき仲間」
(新しき村満三十五年記念)
武者小路実篤 昭和28年
紙本淡彩 30・0×80・0cm

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新しき村が大正7年に創立してから、今年で90周年を迎えます。武者小路実篤が人間らしく生きるために、提唱した新しき村運動は、現在も、創設の地である宮崎県木城町と埼玉県毛呂山町の2箇所で活動が続いています。今回は、新しき村ゆかりの武者小路実篤の画をご紹介します。

新しき村では労働をしながら、個性を伸ばし、自己を高めるために、様々な芸術活動が盛んに行われており、そのひとつに、雑誌の発行があります。機関誌として、雑誌『新しき村』が創刊されたのが、大正7年7月。実篤がその春に村の運動を提唱してから、わずか数ヶ月で発行されており、当時の活動の盛り上がりがうかがえます。誌上では、村の精神や活動状況を紹介するだけでなく、実篤の著作、会員の創作や研究も発表され、途中に誌名の変更や断続があるものの、現在でも発行されています。

『馬鈴薯』という雑誌は、新しき村東京支部が昭和16年5月〜19年3月の間に33冊を発行しました。その資金は新しき村の村外会員で、印刷会社を経営していた須藤紋一が全額負担し、編集や雑務は、夫人や東京支部の中川孝、江馬嵩、前田伍作らが担当していました。太平洋戦争が始まった年に発行され、出版統制が厳しくなる中、雑誌の整理統合により『文芸日本』と合体となり、終刊となりました。

この画は、表紙原画とは言っても、発行された表紙と一部違う箇所があります。描かれた線がこちらの方が柔らかで、葉が一枚多く、落款の位置も異なっています。これらから、完成度の高い下図と考えられます。

この作品は、須藤紋一が所蔵していたもので、昭和39年に亡くなる前に村外会員・江馬嵩に託されました。江馬は「この画を、先生の画としてと同時に、藤の「馬鈴薯」記念、須藤の「新しき村」の心として大事にしている。」(『新しき村』昭和50年7月号)と記すように大切にし、その思いを託し、昭和60年の当館開館直後に、ご寄贈いただきました。

もう一つの作品「芽出たき仲間」は、昭和28年、新しき村創立35周年を記念した手ぬぐいの原画です。このため、手ぬぐいの原寸大で、紺色と茶色の色墨を使い、線描で描いています。

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新しき村では創立記念祭を開催すると、様々な記念品を制作しています。この画の手ぬぐいも当館が収蔵していますが、同様の二色で染められ、落款が原画の朱色を茶色に置き換えているものの、原画の雰囲気をよく残した仕上がりとなっています。

この後、昭和30〜40年代には、実篤の書画が、生活用品や雑貨に取り入れられ、手ぬぐいをはじめ、風呂敷、のれん、アルバム、食器など様々な品に使われています。

染め物などでは、原画となった作品に直接、染め型の指示書きを書き込んだり、作業工程の中で使われて所在が不明のものが多くあります。新しき村ゆかりの品だけでなく、商品化の資料としても、興味深く見ることのできる作品です。

この作品は、新しき村会員の高橋信之助が所蔵していたもので、昭和63年にご遺族から当館へご寄贈いただきました。高橋は日向新しき村で生活をし、その後、昭和17年、神田で開かれた新しき村東京支部の活動拠点「新村堂」を任され、後年まで実篤の書画や展覧会に関する仕事をしていました。

このように、当館は作品ひとつひとつに、新しき村の歩みや、会員の思いが伝わる品々も多く収蔵しており、これからも、その記録を集め、折りに触れてご紹介してまいります。

(福島さとみ 当事業団首席学芸員)