調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』15号 より2008年9月30日発行

新しき村創設にまつわる手紙

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新しき村は、大正7年5月に武者小路実篤が提唱してからわずか半年という短い時間で創設に至りました。

最初期からの会員・後藤真太郎に宛てた実篤の手紙は、急速に実現していくスピードをそのままに伝えています。

7月22日付の二枚続きの葉書で後藤が住む大阪周辺の会員を紹介すると、31日付ではもう支部が出来たことを喜んでいます。8月26日付と9月4日付から、後藤が9月1日の東京での例会に参加したことがわかりますが、実篤と直接会ったのはこの時が初めてでした。また8月30日付では、醤油や菜種油、紅茶、紙の製造などが双方から挙げられ、早くも村の産業や工業化について意見を交わしています。

実篤は新しき村を開く土地を探すため、9月23日に東京を旅立ちます。それを知らせる手紙で、9月8日付では「大阪でゆっくりご相談したく思ひます」と書いていますが、翌9日付では「昨晩いろいろ考へてゐる内に土地を探すのには君も一緒に来ていろいろ相談して土地を探したい気がしました」と同行を願い、16日付では更に「日向には一週間や十日おくれてもかまいませんから是非来てほしく思ひます」と書き送っています。後藤はこれに応え、共に日向を巡り、土地を買う交渉に腐心し、そして11月14日に新しき村創設の地が決まると、最初の村内会員の一人となりました。

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活動の始まった新しき村は、各地の村外会員にとって憧れの地となりました。そんな一人、詩人の千家元麿は、大正8年4月16日に念願の入村を果たします。しかしわずか数日で逃げ帰ってしまいました。実篤に宛てた5月1日付の謝罪の手紙では、「淋しくてたまらなかった」「僕等居ても仕様が無い」としながら、一方で「帰ってこなければよかった」と悔やんでいます。千家は再び村に暮らすことはありませんでしたが、その後も「私は村に憧れてゐます、どうしてもいつか行きます」(大正9年4月26日付)、「村に住めるやうになるには未だ現的な思い欲望が強くて駄目な事を恥ぢます」(大正10年11月20日)など、憧れと躊躇いと揺れ動く気持ちを繰り返し綴っています。

新しき村草創期の手紙は、公式の記録には残らない細かな動静を知る手がかりになるだけでなく、その時の熱気とそれぞれの想いを、今に伝えます。

(伊藤陽子 当事業団主任学芸員)