調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』17号 より2009年9月30日発行

マティスの紹介状
1936年10月11日

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武者小路実篤は、昭和11年(1936年)4月から12月にかけて、生涯ただ一度の欧米旅行に出かけます。目的は、若い頃からあこがれ続けた西洋美術の実物を見、当時活躍していた芸術家に会うことでした。

念願かなって、実篤はパリでマティス、ルオー、ドラン、ピカソを訪ねます。当時パリにいた彫刻家・高田博厚が通訳と案内役を務めました。

言葉の問題で直接会話こそできませんでしたが、美術史に名を残す巨匠達に直接会ったことは、実篤にとって得がたい経験になったのは言うまでもありません。またこのとき、ルオーからは油絵「ピエロ」を直接購入し、ピカソからはエッチング「ミノトーロマシー」を手ずから贈られています。

4人のうち、最初に訪ねたのがアンリ・マティスでした。『白樺』明治45年1月号で初めてマティスの作品を挿絵にとり上げてから、四半世紀を経ての邂逅です。マティスは静かな老人で、自ら作品を出してきて見せてくれ、彫刻は手に取るよう勧めてくれたといいます。

この紹介状は、実篤がマティスの作品を沢山見られるところを尋ねると、即座に書いてくれたものです。

パリ 1936年10月11日
親愛なるピエール

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何人かの日本の友人たちの友人である日本の作家・武者小路さんが、私の画のあるコレクションを見たいということだから、クラーク・コレクションを同氏が訪れることができるように、どうかできるだけのことをしてくれるよう。同氏がメリオンへ行くことができる場合には、近代美術館を、多分そこのバーンズ・コレクションを、同氏のために教えてあげるようにしてくれるよう。
君が同氏のためにしてあげることができるであろうことに対して、君に感謝するとともに、私の愛情を君に送ることにする。

アンリ・マティス

※訳:武者小路実光(故人)……実篤甥・フランス文学者・獨協大学教授

ピエールはマティスの次男で、1931年からニューヨークで画廊を開き、ヨーロッパ美術をアメリカへ紹介していました。

実篤はニューヨークに着くと何より先にピエールを訪ね、個人コレクションを紹介してもらい、3つほど見たと「一人の男」一五四章で書いています。

ここに挙げられたバーンズ・コレクションは、フィラデルフィアに近いメリオンにある財団が管理しており、一般公開されていませんでした。またクラーク・コレクションは、アメリカの主要な美術収集家クラーク兄弟のうち、ここでは弟のステファンが集めた作品を指し、メトロポリタン美術館、近代美術館などに寄贈されています。

紹介状ですから、本来ならピエールに渡すべきはずですが、これは実篤の遺品の中に残っていました。尊敬する現代絵画の巨匠が自分のために書いてくれた直筆の紹介状。手放しがたい宝物だったに違いありません。

(伊藤陽子 当事業団主任学芸員)