調布市武者小路実篤記念館

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所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』22号 より2012年3月31日発行

伝梁楷「松下琴客図」
35・5×25・5㎝
絹本墨画・軸装

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松の下にいる人物が琴を弾く手をとめ、月見をしている姿を左に描き、右上には月が描かれていたが、現在は褪色してほとんど見えなくなっている。孤高の人を描いた、凛とした空気が感じられる作品で、実篤が愛蔵した数ある美術品の中でも、最も愛した作品といえる。

これを入手する前、実篤は昭和21年10月に『牧谿と梁楷』を書き下ろしで刊行した。戦後の混乱している時代に美術書の刊行とは驚くが、当時苦境にあった座右寶刊行会の後藤眞太郎のために、東洋や日本の画家たち一人または二人の他にない画集を安価で出版し、新しい門出となるようにと実篤が提案して実現した本である(実篤より後藤宛て書簡 昭和21年3月31日)。

『牧谿と梁楷』には、西洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、レンブラントに匹敵する東洋の芸術家を、広く紹介したいとの思いが書かれているが、それは当時、戦争で打ちのめされた日本人が、自信を取り戻すようにとの、実篤流の表現であるようにも受け取れる。

この作品を入手した経緯は、昭和20年代前半、近くの骨董商で一目見て感心し、値を聞いたところ、無理すれば買える値段なので購入したという。その心境を実篤は「この画を自分の座右に置いて見たい時見られる事は実に望外の幸で、梁楷自身からもらったような気がした。」(『私の美術遍歴』)と回想している。

後日談として、骨董商はある人に怒られたという話がある。その人は牧谿の作品を先に入手し、梁楷もそろえたかったと言ったという。これを聞いた実篤が、自作の『牧谿と梁楷』を読んでそう思ったのではないかと聞くと、矢張りそうで、「それじゃ僕からとり上げる資格はない」と、面白く思い紹介している。

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中国南宋時代の画家である梁楷について実篤は、「自分のしたいことを束縛されるのは嫌ひだつたらしい。自己に忠実な男だと言へると思ふ。」(『牧谿と梁楷』)と書く。実篤はこの作品を間近に見ることで特に着物の線に感心し、この線を描ける境地を、「心と腕の冴えを見せている」という。

作者の表記は「伝梁楷」となっており、つまり、梁楷と伝えられている作品だと言う意味である。画面構成や描き方から、南宋・馬遠系の画家が描いたと考えられるが、梁楷であると明確には判らない。しかし、この作品には江戸時代初期の狩野探幽の極めがあり、また、探幽自らもこの作品を模写しており、そこには右上に月が描かれている。このため、早くに日本へ伝来した南宋画で、江戸時代にはすでに梁楷作と信じられていたことが判る。

実篤自身は美術品の真贋にはあまり頓着せず、むしろ、作品と対峙し、その作品を通して作者の心情に触れることが大切であった。

「これをかいた時の梁楷に逢う思いがするのだ。
彼 沈黙/我 沈黙/真心は真心に通う瞬間/本物さながらの人間/人間の心/それにじかにふれられる喜び
それは金ではない、運命である。」

(『私の美術遍歴』) と、実篤はこの作品にふれる無上の喜びを書いている。

(福島さとみ・当事業団首席学芸員)