調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』2号 より2002年3月31日発行

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戯曲「人間万歳」

笑いの底に人類への思索

天使 神様
神様 なんだ
天使 地球がやつと冷えて表面がかたまりました

これが戯曲「人間万歳」の冒頭です。芝居の"せりふ"といえば、多少なりとも文語的な調子を帯びたものとされた当時にあって、実篤のこうした大胆率直な表現は、日本の演劇に新風を吹き込む力を持っていました。

「人間万歳」は、大正一一年『中央公論』の十月号に発表、翌一二年四月、曠野社の武者小路小集第一冊目として(他の戯曲二篇を含む)出版されました。

「人間万歳」執筆当時、実篤は三七歳、宮崎県木城村に"新しき村"を開いて四年目に当たり、村の仕事や講演旅行をこなす一方、自伝小説「或る男」の執筆など、活発な創作活動にも取り組んでいました。

狂言と名づけた作品

実篤の戯曲には「その妹」(大正四)「愛欲」(大正一四)のように、深刻な内容で人の心をゆさぶる作品がありますが、その一方、軽快な喜劇も少なくありません。実篤はそうした喜劇風な作品のいくつかを"狂言"と称しており、この「人間万歳」にもその名を与えています。

"狂言"と言っても、実篤の場合、古典芸能の狂言の形式にそって書いているわけではありません。いうなればあの軽妙な狂言"末広がり"を楽しむように、観客が理屈っぽく考えず、おおどかに笑って見てほしい…、という程の意味での命名と思われます。

或る天体にヒトが誕生!

さて、ここで「人間万歳」の舞台を眺めて見ましょう。そこは宇宙を支配する万能の神を中心とした天界で、個々の星を管理する仕事など、さまざまな役目を持つ天使たちが住んでいます。

無数の星々の中でも、とりわけ小さく新しい地球、その表面が固まりだし、いろんな生物が生まれる中で、"人間"も誕生しました。

神のふとした出来心から、人間は神の徳性のほんの一かけらを身につけています。人間は時に愚かで時に賢く、悪逆非道な面もあれば誠実無比な面もあり、かつ、さまざまな災厄に悩まされます。地球の管理を受け持つ小心者の天使は、そんな人間の姿に一喜一憂し、神様に訴えますが、神様はあるがままに任せます。

人間は少しずつ精神的な高みに登って行くかに見えます。

生命を讃美する神

ところで、この宇宙を支配する神は、人間臭い一面を持ち、若く美しい女の天使を愛して自制心を失い、思いがけぬ失敗もしでかします。そんなところは、いかにも"狂言"の名にふさわしい面白さと言えましょう。

しかし、さすが宇宙を支配する神、肝腎な場面で道を踏みはずす事はありません。また、この神の身辺には、道徳天使と生命天使という二天使がおります。神は道徳天使の役割を高く評価し、けっしてないがしろにしませんが、生命天使の輝き、つまり、生きることの尊さをより強く讃美するのでした。

今日に生きる「人間万歳」

或る時、隣の宇宙を支配する神が友誼を結ぶために訪ねてまいりました。こちらの神は親しくこれを迎え入れ、神と神との和やかな会話が交わされます。

その会話の中で、実は隣の宇宙にもかつて人間の住む天体があったことが知らされます。さて、「…あった」と過去形で述べましたが、隣の宇宙の人間はどうなったというのでしょうか。

それから、この劇は、二人の神と大勢の天使たちが繰り返し「人間万歳」を唱えるところで幕が降りるのですが、神々や天使たちは、どんな思いで人間を祝福したのでしょうか。是非この作品をお読みいただくことを願って敢えて説明を省きます。

今日、世界の体制や価値観が、混乱の内に変貌を遂げつつあり、その中で人々は己の生き方さえも見失いかねません。

実篤は、"狂言"と称しつつも、人類に対する深い洞察力をもって「人間万歳」を書いたのであり、今日、私たちがこの作品から学ぶべきものは、けっして小さなものではないと思われます。

実篤会心の作

戦後、戯曲『人間万歳』は昭和二二年三月に市瀬書店から刊行されました。その序文で実篤はこう述べています。

「僕の書いたものの内で、何が一番自分では好きかと聞かれる時がある。その時一番始めに自分の頭に浮かぶのは人間万歳である。(中略)先日もこの本を出すので、読みなほした時も、自分の作の内では屈指のものではないかと思つた。…」

「人間万歳」は大正一四年三月、帝劇で守田勘弥らの文芸座によって上演され、昭和二九年七月には宝塚雪組のグランドレビューとなって帝劇に登場しました。

(当館専門員 岩井貞雄)