調布市武者小路実篤記念館

サイトマップ個人情報の取扱

  • 文字の大きさ
  • 小
  • 中
  • 大

作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』5号 より2003年10月1日発行

image

小説「友情」

三十四歳の時に書いた代表作品

「友情」は、武者小路実篤が三十四歳の時に書いた、代表作とされることの多い人気作品で、現在でも数社から文庫本が刊行されています。物語は明快です。主人公野島が美しい杉子に憧れ、求婚までするが、杉子が好意を寄せているのは、実は野島の恋を応援していた親友の大宮で、最後には大宮と杉子が結ばれるというもの。上篇では、野島の視点から主に杉子への強い思いと大宮との友情が描かれ、下篇では、パリにいる大宮と杉子との国境を越えた往復書簡が中心になって、二人の思いが通じ合い、野島が深い孤独のなかに立たされるまでが描かれます。

十年以上たってから火がついた人気

「友情」は、一九一九[大正八]年十月十六日から十二月十一日まで『大阪毎日新聞』夕刊に連載されました。その後、一九二〇[大正九]年四月に以文社から、翌年四月に下出書店から、同年五月に叢文閣から、いずれも実篤の親友岸田劉生の絵による装幀で単行本が刊行されました。しかし、発表当時はこれといった反響はありませんでした。作者本人のコメントを引用しましょう。

「その後十何年かたつて、僕は不思議な噂を聞いた。それはなにかの雑誌か新聞に、女学生の愛読書を調べた結果が出て居たが、その内に友情が二位を占めてゐたと言ふ事だつた。(略)消えていつたと思つたものが、又あらはれて来たような感じを受けた。誰もほめない、誰も何とも言はない、しかし読者から読者に伝はつて、又読まれるやうになつたのだと思つた。」(新潮社『武者小路実篤全集 第五巻』一九五五[昭和三十]・二)

なかなか書けなかった虚構小説

実篤を知る人は、憧れの女性にのめりこむ野島から実篤本人を、冷静な判断で野島をささえるスポーツマンの大宮から親友志賀直哉をすぐ連想するでしょう。この連想はまちがってはいませんが、全体として「友情」は虚構の小説です。実際には実篤と志賀の三角関係は存在しませんでしたし、杉子という作中人物は実篤がかつて思いを寄せた三人以上の女性のイメージが複合されて生まれたものです。細かく見れば、実篤の亡き姉(伊嘉子)が大宮の姉として設定されるなど、作品世界と実篤の伝記的事実との相違は数多くあります。

「友情」執筆当時の実篤は、小説家としてのキャリアは十年ほどになっていましたが、実は主人公を自分自身からうまく切り離して小説を書くことができませんでした。このことは彼の課題ともなっていたようで、銀行員を主人公にした「不幸な男」(一九一七[大正六]・五『新公論』)を書いた時ぐらいから、彼は「昔とちがつて主人公が自分と同じ人間にしないでも書けるやうになつた」(『或る男』二百一章)と言っています。しかし、実篤自身も読者も満足できるような虚構の小説はなかなか生まれなかったのです。

新しき村の若者へのメッセージとして

実篤が「友情」を書いたのは、新しき村創設の二年目です。「友情」は、内紛などのさまざまな現実との闘いを強いられる中で書かれた作品だったのです。叢文閣版『友情』の「再版自序」で、彼は「この小説は実は新しき村の若い人達が今後、結婚したり失恋したりすると思ふので両方を祝したく、又力を与へたく思つてかき出したのだがかいたら、こんなものになつた」と書いています。

現在でも数多くの読者に読まれる大きな理由がここにあったと思います。「友情」には新しき村の若者を力づけようとする現実的な目的があり、彼の恋愛についてのメッセージが、この小説を全体としては明るく、前向きなものにし、多くの読者を生む結果となったのではないでしょうか。

戯曲のような虚構小説

また、この明確な一つの方向性は、作品を私小説的な世界から解き放ち、虚構の小説を生み出すことになりました。実篤はみずから得意とする戯曲では、一つの主題のもとに緊張度の高い虚構の作品を書いていました。とすれば、「友情」はいわば戯曲的な手法で書かれた小説といえるでしょう。野島・大宮・杉子の三角関係も、上篇から下篇への大きな転換も、小説的というよりは戯曲的(演劇的)といえます。さらには、下篇での謎解きに向けた上篇での伏線づくりさえなされていました。こうしたことが、これまでの彼の小説にあまり見られなかった構成上の緊張感を生み、「友情」は人気を博するようになったのだと思います。

「友情」は、実篤の思想や内面を全面的に表現した作品ではありません。しかし、たとえば末尾の「自分は淋しさをやつとたへて来た。今後なほ耐へなければならないのか、全く一人で。神よ助け玉へ」などの細部の表現の中には、思想の直接的な表現に劣らないインスピレーションが宿っています。

(瀧田浩 二松学舎大学講師)