調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』8号 より2005年3月31日発行

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小説「愛と死」

純愛小説としての「愛と死」

最近、純愛という言葉をよく耳にします。韓国で製作されたテレビドラマ「冬のソナタ」が主として中年層に爆発的な人気を集め、「世界の中心で、愛をさけぶ」は小説・映画・テレビドラマいずれも若者の共感をよび、大きなヒット作となりました。片山恭一の小説「世界の中心で、愛をさけぶ」は三百万部以上売れ、日本人が書いた小説としては最大のベストセラーです。これらが純愛の物語だとして、世代を越えた流行現象にまでなっているのです。

「世界の中心で…」のヒットを受けて、『日経エンタテインメント!』(二〇〇四年八月号)で〈泣ける映画・小説〉という特集が組まれました。〈泣ける〉作品になるための要素として、①若い男女の純愛というテーマ、②難病などの障害、③女性が死ぬという結果、④回想型の構成、⑤思い出を記録する小道具の存在を挙げています。純愛は〈泣ける〉ための一要素にして最も重要なものです。この五つの基準によって、「世界の中心で…」は一〇〇点満点のお手本、実篤の「愛と死」は九〇点と評価されています。

純愛とは何か。明確な定義は難しいのですが、「自分の欲望や価値観を押しつけることなく、恋の相手を大切に思い合い、相手と自分との関係をかけがえのないものとする愛情」とまとめておけば、あながち間違いにはならないのではないでしょうか。このような意味において「愛と死」は純愛小説といえます。のみならず、〈泣ける〉ための五つの要素を実によく満たしています。テーマは、売れない文学者である村岡(二十八歳ぐらい)と、友人野々村の妹である夏子(二十歳ぐらい)の純愛で(①)、村岡がヨーロッパから帰る途中に夏子はスペイン風邪で(②)、急死します(③)。物語の構成は二十一年後の村岡による回想です(④)。そして思い出の記録となる小道具も、手紙・写真など少なくありません(⑤)。

実篤の恋愛小説の特徴

実篤は「愛と死」のような純愛小説を多く書いていません。初期の代表作「お目出たき人」や「世間知らず」のテーマは恋愛であるにもかかわらず、主人公は恋愛よりも自我を発展させることの方を重要だと考えており、純愛小説とは呼べません(もともと「お目出たき人」は一方的な片想い小説です)。彼の代表作「友情」は確かに三角関係に基づく恋愛小説ですが、主人公の野島は愛する杉子と感情や価値観を分かち合うことができませんでした。実篤は純粋な感性の持ち主でしたが、その純粋な感性はよくできた純愛の物語を目指さず、むしろ普通の恋愛の枠を越えた自分らしい生き方を追求する方向に働きました。では、どうして「愛と死」という純愛小説は生まれることになったのでしょうか。

純愛小説が戦時中に書かれた理由

「愛と死」が発表されたのは一九三九(昭和一四)年七月です(雑誌『日本評論』に一挙掲載)。日中戦争はすでに始まっていました。「愛と死」執筆の理由の一つとして実篤は次のように書いています。「当時シナで戦争が始まつて居、若い人達がよく死ぬので、愛する者を失ふ人に同情し、その人達の気持を察して、一方小説の女主人公を失ふ気持をかく気になつたのも事実である」(新潮社版『武者小路実篤全集第五巻』「後書き」)。この言葉にしたがえば、戦死する若者と残された者への思いが、村岡との愛と未来を信じ切っている、快活な夏子を幸福の絶頂で急死させる物語を生みださせたのかもしれません。そして、実篤は絶望の淵にいる村岡をとおして鎮魂の想いを伝えようとしたのかもしれません。

愛する人を失う者たちへ
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この年、実篤は五十四歳です(「愛と死」の語り手の年齢は四十九歳ぐらいの設定です)。安子夫人との間に生まれた三人の娘は、十六歳、十四歳、十一歳になりました。作品の主人公たちも、戦線で死にゆく兵士の多くも、娘たちの世代です。この作品で実篤は、自分の恋愛観・恋愛体験を表現しようとしたのではなく、若い世代の純粋さを、親の世代の目から描いたのではないでしょうか。

「愛と死」の原稿には、消された「生者死者」というタイトルが見えます。執筆動機にはこのタイトルの方が近いかも知れません。この作品を気をつけて読んでいくと、純愛にくくりきれないメッセージに気づきます。村岡は夏子の急死によって絶望したあと比較的早く母の愛に光明を見出します。これは純愛作品を完成させる点からいえば悲劇性を弱めることになりますが、残された「生者」への救いを暗示するという点から考えれば意味のない表現ではないのです。よくできた純愛小説「愛と死」の本質は、愛し合う男と女の悲劇を越えて、すべての死者とすべての残された生者に向けた、普遍的な愛情ではないかと考えます。

(瀧田浩 二松学舎大学講師)