調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』11号 より2006年10月1日発行

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日記「彼の青年時代」

実篤作品を読み解くための重要資料

一九〇六年三月から六月までの約三ヶ月の日記(実篤は二〇歳〜二一歳)と、一九〇八年四月から十二月までの約八ヶ月の日記(実篤は二二歳〜二三歳)をまとめたのが「彼の青年時代」です(発表は一九二三年二月、叢文閣からの単行本)。日記ときくと、「日記は鑑賞するに足る作品か」と疑問をもつ方もいるかもしれませんが、青春期の生活と内面を詳しく書いたこの日記が非常に重要な資料であることは確かです。一つ引用してみます。

自分は此頃になつて何か仕事が出来る様に思へて来た。(略)/それは新しき社会をつくる事だ。理想国の小さいモデルを作る事だ(一九〇八年五月一九日の日記。この時実篤は二三歳)。

この日記を読めば、新しき村を創設する十年前にその構想があったことがわかります。この例からもわかるように、この日記には、実篤の膨大な数の作品や個性的な思想を読み解くためのカギがいくつも隠されているのです。

二年間での大きな変化
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日記「彼の青年時代」を通読すると、前半(一九〇六年の日記)と後半(一九〇八年の日記)との大きな違いに驚きます。自分の将来や生活、恋愛や結婚など、考えるテーマ自体は変わっていないものの、文語体から口語体への変化だけでなく、正義を貫こうとする生真面目な考え方から、自分の長所と短所もひっくるめて自分らしく生きていこうという考え方への変化も見られます。

二十歳頃の日記に見える社会的思考

この二年間の変化を知ることは実篤の文学や思想を理解する上でも大きな意味があります。なぜなら、二十歳〜二十一歳の頃の日記を読むと、国家・政府・権力・暴力・戦争・軍隊・階級・労働者などの問題について、数多くの本を日々読みながら真摯に考えていることがわかるからです。実篤の文学や思想、あるいは行動に対しては、社会性の不足や現実認識の欠如がしばしば指摘されます。しかし、それは実際は不足や欠如ではなく、水面下に潜むようになったのですこのようなことも、この日記を通して初めてわかることかもしれません。

夢にあらわれる「死」「恋人」

彼の日記には夢が繰り返し記述されています。彼が繰り返し見たのは、死の恐怖を感じさせる夢・恋する女性の夢でした。これらはまさしく青春期の実篤が考え抜いたテーマでした。引用してみましょう。

不意にどの犬だかしれないが、耳のはたでウワンと吠えた。その声が獅子みた様に聞えて吃驚(びっくり)して目が覚めた。/食ひ殺されると思つたのと見えて、目が覚めてからも「死」がこわくつて仕方がない。起きて居る時には、ごまかすけれど、夢のうちでは、ごまかしがきかないから、悟つたふりも出来ない(一九〇六年四月五日)。
昨夜いゝ夢を見た。(略)目が覚めてからも気持がいゝ。しかし淋しい。/自分は夢に彼女をはつきり見たのも昨晩が始めてゞである。夢で彼女の話をしてゐるのを聞いたのも、昨晩が始めてゞある。/彼女の身体にさわつた事は、覚めても夢でも、か且つてなかつた事である(一九〇八年一一月一九日)

全体として明るく前向きで単純な印象をあたえる実篤の文学ですが、その裏側に潜む屈折や苦悩を見るのに、これほど良い「作品」は他にないでしょう。

『荒野』出版後に見えてきた「武者主義」

実篤最初の単行本『荒野』の出版(一九〇八年四月、警醒社刊)直後に、一九〇八年の日記は書き始められています。『荒野』出版後の日記を読み進めると、浮かび上がって来るのは、『荒野』の文学と決別して、既成の文学にとらわれない新しい文学を模索しようとする実篤のすがたです。

自分は此頃自信が出来かけて来た。/それは自分は思想に於ては今の多数の文士よりも深い所があると云ふ事だ。狭いのを恐れる。しかし深いと云ふ自信はある(一九〇八年五月八日)。
しかし自分は思想家になれない様な気がする。しかし接するものを感化し、接するものに力を与へ慰藉を与へる事は出来ると思ふ。/自分はそれを以つて満足する。それを以つて無益な事とは思はない。又小さい事とも思はない(一九〇八年五月一四日)。

実篤は、みずからを「思想家」とすることで、これまでの文学の狭い枠に縛られない独自の文学を模索します。五月二十八日の日記には「六十迄健全でいたら」「一つの武者主義をつくつて見せる」とも書いています。一九〇八年の日記には、新しい道を求める彼の個性的なありかたがはっきりと記されています。

(瀧田浩 二松学舎大学講師)