調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』13号 より2007年10月1日発行

戯曲「愛慾」

三角関係と殺人事件

「『愛慾』上演に」という文章で、実篤自身があらすじをまとめていますので、引用しましょう。

ある処に女ありけり、ある役者を恋しけるがこの役者に妻ありければ、あきらめてその弟のせむしの男に恋されて結婚す。だが役者のことも忘れられず、どうかして近づかんと思ひ、殺される恐れありと云つて兄に近づかんとせしが、弟の嫉妬と女の恐怖のこんがらがりから遂に弟に殺されけり

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初演 築地小劇場 大正15(1926)年
英次:友田恭助、千代子:山本安英

主人公の画家が野中英次、その妻が千代子、兄が信一です。「友情」・「愛と死」・「真理先生」などの有名な小説では、恋愛・友情・向上心などが明るい筆致で描かれていますが、実は、『白樺』創刊直後の実篤は、この作品のように、三角関係(兄弟が同じ女性を愛する三角関係の話もあります)や殺人を何度も取り上げました。三角関係や殺人は、人間が追い詰められた究極の状況です。極限状態の中でこそ、「自己を生かすことが一番重要である」という自分の思想が読者に強く伝わると、実篤は考えていました。

離婚・再婚と、新しき村離村

実篤は「愛慾」について、「見物に強い刺戟を与へて見たい」、「かいてゐる内に人殺を一つやつて見ようと思」い、そして「殺したあとで生かしたがる気持」を書きたかったと語っています。極限状態の設定の上に「自己(命)を生かす」思想を伝えようとする点では、初期と重なります。しかし、「愛慾」と初期の三角関係や殺人を描いた作品とは、かなり印象が異なるのです。その違いを考えるために、まず「愛慾」が生まれた時期について考えてみましょう。

「愛慾」が雑誌『改造』に発表されたのは一九二六(大正一五)年一月。この時、実篤は四十歳になっており、最初の妻房子とは別れ、次の妻安子とのあいだに二人の娘を持つ父親になっていました。また、実篤が大きな理想を掲げて始めた新しき村を出て、村外に住むようになったのは前年の一二月です。実篤が新しき村から離れるまでに、房子は落合貞三と同居した後、杉山正雄と結婚しており、「愛慾」の三角関係は、実篤の実生活が反映した作品だという指摘もあります。いずれにしろ、「愛慾」は、異性・家族・仕事それぞれの面において大きく動揺した、実篤の人生の転換期に描かれた作品です。

「自由か束縛か」、「仕事か愛情か」のジレンマ

それでは、実際に作品に入っていきましょう。作品は、束縛と自由をキーワードに進んでいきます。兄信一・友人小野寺・妻である千代子本人が、はじめ英次に対して、自由奔放な千代子をもっと英次のもとに束縛すべきだと主張します。しかし、兄と妻のあいだを疑い、嫉妬心にさいなまれながらも、自由をとうとぶ英次は妻に対して束縛しようとしません。ところが、英次が千代子にしめす殺意と狂気に(その端的な例が、殺した千代子を入れるのにぴったりの支那カバンの購入です)、周囲が恐れを抱き、千代子を守ろうとし始めると、全ては逆転します。英次は千代子を束縛し、千代子は英次に自由を強く求めるようになります。

「愛慾」の重要なテーマのひとつは、仕事と愛情の対立です。英次は愛する千代子を思うと仕事ができなくなる人間です。また、絶望的な三角関係を終わらせるためには誰かが死ななくてはならないと英次は考えますが、自分が死ぬと自分の仕事が失われ、千代子が死ぬと愛する相手の存在自体が失われることになる。英次は、「自由か束縛か」、「仕事か愛情か」、「自分が死ぬべきか千代子が死ぬべきか」のジレンマに苦悩し、心身をひどく疲弊させます。彼が千代子を殺すのは、逃避行を約束する千代子と兄の会話を盗み聞きしたことがきっかけですが、その前に彼は心神耗弱と判断不能の状況に追い込まれていたのです。

実篤作品が変質する時期

英次が千代子を絞殺した後、信一は「弟は馬鹿者ですが、生かしてやりたく思ひます」と言い、小野寺も全てを知った上で英次に対して「ますます捨てない」と告げますが、妻を殺した夫を、兄と友人があっさりと受け入れてしまう結末に何人の読者が納得するでしょうか。「愛慾」を通して「自己を生かす」思想を学びうるでしょうか。初期の実篤は、青春期の真摯な問いかけの末にたどりついた「自己を生かす」という思想を盛り込んで、彼独自の文学を作り上げましたが、「愛慾」を読むと、彼の思想を説得的に表現することに失敗したように見えます。そのかわり、解決不能の問題の前に絶望する人物の造型に成功しています。実篤は四十歳にして、世の中の不条理や無意識の欲望が思想を浸食するリアリティーを獲得しました。離婚・再婚や新しき村の離村を経た実篤の文学は、良くも悪くも現実主義に浸透されたものに変質していくのです。

(瀧田浩 二松学舎大学准教授)