調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』18号 より2010年3月31日発行

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戯曲「ある青年の夢」

第一次世界大戦時の反戦作品

「ある青年の夢」は、第一次世界大戦の渦中である、一九一六(大正五)年三月から一一月まで『白樺』に連載された、反戦をテーマとした全四幕の長編戯曲です。主戦場となったヨーロッパと異なり、対岸の火事であったこの戦争は、日本がアジアの利権と中国支配を強化するための大きな第一歩となりました。このような状況と、戦争の悲惨さに直面したヨーロッパでさえ反戦の思想が力を持ちえなかった状況とを考えあわせれば、当時の日本でこの反戦作品のメッセージが受けとめられなかったことは不思議ではありません。当時の「ある青年の夢」にたいする批評を見ても、反戦のメッセージに反応するものはなく、「戦争」ということばさえほとんど出てこないことに驚きます(ただし、中国では魯迅や魯迅の弟の周作人から高い評価を受けたことをきっかけに、この作品の平和のメッセージは、広く受容されます)。

反戦文学の中味

「ある青年の夢」を反戦作品と呼ぶことは間違っていません。プロレタリア文学者の黒島伝治の評論「反戦文学論」でも、日本における数少ない反戦文学の系譜の中で「人道主義の戦争反対」として位置づけられています。しかし、作品をよく読んでみると、「反戦」の中味は単純なものでないことがわかります。

主人公のある青年は、見知らぬ者に強制的に連れ出され、さまざまな場所で戦争について考えることを強いられます。第一幕は第一次世界大戦で死んだ亡霊たちによる平和大会、第二幕は飢えた青年が出会う無政府主義的な考えを持つ乞食と彼を信奉する若い男女たちのいる場所、第三幕第一場は息子を戦争で亡くした画家が絵を描く岡の上、第二場はいくさの愚かさを演じる狂言がおこなわれる村祭、第三場では少年時代に戻った青年が下級生とのいさかいの中で、ピストルで下級生を殺し、斬り倒される夢、第四幕は「独太郎」「英太郎」「日太郎」などと擬人化された第一次世界大戦の戦争当事国たちが、侵略されることに対する疑心暗鬼と悪魔の策謀によって戦争に突入、悪化するまでを、第二幕に登場した若い男女たちが演じる芝居小屋です。

戦争反対に立ち上がらないままの青年
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幕と幕の間に直接のつながりがないこの戯曲において全体を貫いているのは、反戦のメッセージというより、反戦のための積極的な行動に踏み切れない青年の優柔不断さです。見知らぬ者や青年が出会う人たちは、戦争の悲惨さと無意味さを青年に伝え、戦争反対者として立ち上がらせるべく働きかけます。しかし、青年の態度は煮え切らないままです。序には見知らぬ者にたいする「俺にはまだお前に逢ふ力はない」という青年の言葉があるし、第三幕第三場で青年が下級生を殺してしまったあとには「お前はそれでも平和を愛するものか。非戦論者か」という見知らぬ者の落胆の言葉があります。戯曲の最後は次のとおりです。

見知らぬ者。今度は之でお前を地上に帰してやらう。あとは皆で考へろ!
(見知らぬ者、青年をつかまへて窓からほり出す)

青年は戦争反対をになう人物へと変貌をとげないまま、戯曲は終結してしまうのです。青年は、物語が終わったあとも戦争にたいする自分の行動についてずっと考えることになるのです。

戦争について考えさせるために

「ある青年の夢」には数多くの劇中劇があります。第一幕では、お互いに殺されることが恐ろしいためばかりに相打ちで死ぬ武士についての「狂言」、第二幕では、愛する男の死によって愛することができなくなった女についての「素人芝居」、第三幕第二場では、陰陽師と神によっていくさが回避されることになったという「狂言」。同第三場では、青年が切り倒されることになる下級生との争い自体が夢であり、第三場全部が一種の劇中劇と呼べそうです。そして第四場は、すべてが若い男女による「田舎芝居」という劇中劇です。

劇中劇は青年に戦争にたいする思考をうながすためにおこなわれます。しかし、ここで読者の読み方を考えてみると、劇中劇というしくみは青年と読者を同じ場に置くはたらきをすることがわかります。戦争の傍観者でいつづける青年への働きかけは、同時に読者に戦争にたいする再考をうながします。「ある青年の夢」は反戦のメッセージの効果を楽観的に信じる作品ではありません。むしろ、戦争の無意味を知りながらも、戦争に反対することに向かわない人々に向けられた作品です。第四幕で再登場する乞食の「根です、根です、民衆です。もう少し人間が進歩すればいゝのです」という台詞は、裕福な知識人層を中心とした読者たちに鋭く突きつけようとするものであったと考えられます。

(二松学舎大学・准教授 瀧田浩)