調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』20号 より2011年3月31日発行

感想「論語私感」

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実篤の大きな転換期

武者小路実篤の書いたものに触れたひとは、彼をいつも楽天的な人物だと思うかもしれません。実際に彼は人生を肯定する意志を九十年の生涯のあいだ持ち続けましたが、そこにはゆれや変化もありました。岩波書店から書き下ろし単行本として『論語私感』が出版されたのが一九三三(昭和八)年一〇月、実篤が四十八歳の時ですから、人生の折り返し地点を過ぎたところで書かれたといえるでしょう。四十歳で新しき村を離れ、プロレタリア文学の流行のため原稿依頼も減り(多作の実篤に、この年は『論語私感』以外の出版物がほとんどないのも、当時実篤が人気作家ではなくなっていたことを物語っています)、実篤の四十代は人生の苦さを経験する時期になりました。そうした中、実篤は『論語』から深く学ぶようになります。実篤は『論語』をとおして、理想と現実の折り合いのつけかたを身につけていったようです。

実篤が特に好きな孔子の言葉

『論語私感』は「学而第一より」から「堯曰第二十より」まで、『論語』の構成に沿って本文(『論語』全体の三分の二ほどが取り上げられています)を示したあと「私感」を記すという形式で書き進められ、最後の二章「政治に就て」「孔子に就て」では『論語』の構成にとらわれず、実篤が孔子について自由に語っています。「孔子に就て」の中には「特に好きな」言葉が九つ並べられており、実篤の『論語』に対する関心のありかがわかりますが、その言葉の中には、実篤らしからぬとみえる言葉が含まれています。三つあげてみましょう。

人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患へよ。
已んぬるかな、吾未だ能く其過を見て内に自ら訟るものを見ざるなり。
中庸の徳たるそれ至れるかな。民久しくする鮮し。

他人から評価されないことを嘆くよりも、他人を真に知らないことを嘆くべきであるという一つめ、自分の過ちを直視して直すことの困難さをいう二つめ、中庸の徳に至る人のまれであることを説く三つめ、いずれも、反省よりも前進、自己否定よりも敵への容赦ない攻撃を選んできた実篤自身に強く反省を迫るようなことばです(二つめのものについては、「私も耳のいたい一人である」と書いています)。もちろん、自信家の実篤ごのみの「天徳を予に生せり」や「仁遠からむや、我仁を欲すれば、斯ち仁至る」などの言葉も挙げられていますが、彼の前半生に書かれた代表的な作品を思い浮かべると、とまどうような言葉を『論語私感』の中にいくつも見つけることができます。

不遇の四十代から得たもの

世の中の荒波にもまれて、実篤は人の心の痛みがわかる大人になったと言ってもよさそうです。「年四十にして悪まるれば、其れ終らんのみ」という『論語』の言葉に対し、実篤は「少し希望のない云ひ方だ」と書き、みずからもっと穏やかな文案を考え、「四十五十にして聞ゆる処なきは畏るゝに足らざる也」や「四十にして恵まれざれば、其れ終らんのみ」としてはどうかと示しています。四十代を不遇の中で過ごし、世間からの厳しい評価にさらされている実篤自身にとって、「終らんのみ」はあまりに厳しい言葉だったのでしょう。また、孔子の深い愛を受け、高い人間性を評価されながらも、若くして亡くなった顔回を何度も取り上げています。才能を不遇のうちに埋もれさせる人間への同情や、みずからがこのまま埋もれることへのおそれを、実篤は抱いていたのかもしれません。

孔子の主張する「仁」を、実篤の主張する「人類の意志」と同じものだとするのが、最もユニークな実篤の『論語』解釈ですが、「仁」以外に、『論語』のキーワードとして重視されるのは、「礼」や「恕」(ゆるすこと)です。実篤はこれまでのように「自己」と「人類」を結びつけて考えるだけでは、他者と協調して現実社会をいとなんでいくには十分ではないと知ったようです。

理想主義と「和して同ぜず」
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しかし、実篤の理想主義が消えたわけでは決してありません。実篤は未来の人間に期待を寄せます。「孔子は古人崇拝である。僕にはさうとは思へない」、「僕はあと程人間はよくなつてゐると云ふ考へをもつてゐるものだ」と書き、孔子の主張に対しても譲りません。そもそも、『論語』の「仁」を「人類の意志」と結びつけて理解する考え自体が実篤の理想主義によるものだといえるでしょう。

実篤は「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」をとりあげ、「僕はこの言葉を実に愛する」、この言葉に「独立人同士が、お互に尊敬しあひ、調和してゆける秘訣」があると書いています。苦境の四十代を過ごして、「礼」や「恕」も含みこみ、少しすがたを変えた彼の理想主義をよく説明してくれる言葉です。

(二松学舎大学・准教授 瀧田浩)