調布市武者小路実篤記念館

サイトマップ個人情報の取扱

  • 文字の大きさ
  • 小
  • 中
  • 大

トップページ > 資料室 > 所蔵資料から

所蔵資料から

「所蔵資料から」は、実篤記念館で所蔵する作品や資料の解説、
実篤にまつわるエピソードなどをご紹介する記事で、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』4号 より2003年3月31日発行

「カチカチ山」「花咲爺」挿画原画
岸田劉生画   一九一七年

image

この作品は、武者小路実篤が『白樺』大正六年七月号に発表した作品を、大正六年十月二八日に阿蘭陀書房から出版された初版本のために、岸田劉生が描いた挿画の原画です。初版本の挿画は、この原画から版画や凸版印刷にしたものが使われています。

この二つの作品は、白樺同人がロダンから贈られた彫刻作品と西洋美術の複製画を貸出し、大正三年、長野県上諏訪で開催された「泰西美術展」を機会に、 信州を訪れた実篤が、教師・赤羽王郎から「子供たちに読みものを」と頼まれ、その後再度六年春に懇願され、書いたものです。この経緯から「カチカチ山」は、大正六年六月五日に執筆し、冒頭に赤羽へあてた「この一篇をある小学校の先生に」との献辞を記しています。また、「花咲爺」は大正六年六月一三日に執筆し、「この一篇を小泉鐵兄に」と記し、白樺同人で編集を担当していた小泉に贈られたものです。

この挿画原画は、各一点が二二・三×一五・〇cm程で、現在は一面が二九・八×二二・五cmの台紙に貼込まれ、作品ごとに折帖仕立てになっています。

初版本の挿画は、「カチカチ山」が十一点、「花咲爺」が十二点を掲載していますが、現在、この原画はそれぞれ十点と十一点が残っています。

原画はペン、墨、鉛筆、色鉛筆で描かれており、インク色を変えたり、それぞれの筆記具の質感や特色を活かしています。また、描き方も、ペンを使った作品では細かな表現をし、墨などはベタ塗りを利用し、簡略、反転の対照的な表現を取り入れています。そのため、作品の流れが単調にならず、リズムや変化を生みだした、みごとな構成になっています。

岸田は娘の麗子や白樺同人の子供たちに、よく昔話をしながら絵を描いていました。それは、子供たちを楽しませたりする反面、鬼を描く時など彼の写実的な表現から、子供たちがとても怖い思いをした話が伝えられています。

image

この童話劇は、「生と死」「信頼関係」がテーマとなっており、私たちの知る昔話の作品よりは、どこか厳しく、シリアスな内容も表現されています。そこに、岸田の細かな描写や登場人物や動物たちの表情を捉えた画が加わるとより相乗効果が生まれてきます。

また、この原画を描いた当時の岸田劉生が強い関心を持っていた、デューラーやウィリアム・ブレークからの影響が見られ、北方ルネッサンスに見られるような囲みの中に描いたり、日本童話を題材にした作品ながら、西洋的な服装や犬などの表現も見られます。

この「カチカチ山」の扉絵(写真)の裏には、劉生が「呈 實篤兄  一九一七、九、二五」と墨で書き、我孫子の実篤邸に岸田が来訪し、実篤へこの作品を贈ったことがわかります。

この日のことを実篤は、後に『白樺』大正六年十月号に発表した「編輯室にて」で、「岸田が昨日「かちかち山」と「花咲爺」の挿画を持って来てくれた。見て随分いゝのですっかりよろこんだ。可なり予期してゐたが、それ以上だった。こんな芸術的な挿画をして本が出せることを喜んだ。元より挿画と言ふと語弊がある。岸田と自分の芸術が助けあって一つの本が出来ると言ふべきだ。(後略)」と書いています。

実篤の言葉のとおり、二人の文と画が一つになって作品を作りあげています。 実篤は生涯この作品を大切にし、死後、ご遺族から東京都近代文学博物館へ寄贈されましたが、平成14年3月の閉館にともない、当館に収蔵されました。

(福島さとみ 当館学芸員)