調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』14号 より2008年3月31日発行

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戯曲「わしも知らない」

実篤の出世作

「わしも知らない」は満二十八歳の実篤が書いた、彼の出世作です。それまで同人雑誌『白樺』以外には小説や戯曲を掲載したことがありませんでしたが、『白樺』創刊から四年近く経って、ようやく文壇への登竜門とされていた商業雑誌『中央公論』一九一四(大正三)年一月号に「わしも知らない」を発表しました。実篤の作品で初めて上演された戯曲もまた「わしも知らない」です(翌年六月、文芸座)。釈迦を主人公とした全五場の短い戯曲ですが、釈迦と弟子目蓮の対話を中心とした場、釈種(釈迦族)を怨む流離王と手下の好苦梵士の対話を中心とした場が交互に展開する、巧みで緊張感のある構成です。実篤本人が「わしも知らない」を「所謂出世作かも知れない」(自伝小説「或る男」一六三章)と書いています。

阿含経と今昔物語
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初演 文藝座
大正4(1915)年6月
帝国劇場

「わしも知らない」には、典拠があります。実篤は、「或る男」一六三章で、『中央公論』から原稿依頼を受け、必死に素材を考えた末、「釈迦八相記の内の、釈種の滅亡にたいする釈迦の態度」を書こうと考え、書く前に「釈迦の伝記をともかく一度よくよんで見やうと思つた。(略)ある所でやつと薄い伝記を見つけた。その本で始めて彼は流離王が釈迦に個人的恨みをもつてゐるのを知つた」と書いています。「薄い伝記」が何という本だったかはわかっていませんが、『増壹阿含経』第二十六巻「等見品第三十四」(小学館版『武者小路実篤全集 第二巻』「解題」の指摘による)や、『今昔物語集』巻第二「天竺」「流離王、殺釈種語第(二十八)」(ゼミ生・平原敬大くんの指摘による)には、流離王の釈迦に対する恨みによって釈種が滅亡する話がありますから、「薄い伝記」はこれらを元にしたものだと考えられます。

釈迦も知らない人類調和の時

実篤がこの題材をどのような意図にもとづいて作品化したかを考えるために、一場ずつ戯曲の流れを確認してみましょう。第一場では、かつて受けた辱めに報いるために釈種を虐殺しようとする流離王について、釈迦と目蓮が語り合い、釈迦は運命は受け入れるほかないのだと目蓮に諭します。第二場では、釈種を何万人と殺した兵士たちの会話のあと、残虐の上に残虐を加えようとする流離王と好苦梵士の対話が示されます。第二場の様子を釈迦と目蓮が遠くから見て対話するのが第三場です。目蓮は助けることを諦めきれませんが、釈迦は諦めて、「過去、現在、未来をつらぬく」「宇宙の心」を持つべきだと語ります。第四場では釈迦の予言どおり、流離王や好苦梵士たちが焼け死にます。二人は予言を恐れず、最期まで雄々しく振る舞い、お互いの胸を剣で貫き合って死にました。最後の五場は全てが通り過ぎた後の、釈迦と目蓮との対話です。釈迦は、いつか来るすべての人の調和に向けて祈ります。

人間の限界と可能性の物語

流離王が釈迦一族を滅亡させた後、流離王たちが滅亡するという基本的な部分は同じでも、『阿含経』や『今昔物語集』と比べてみると、実篤が書いた釈迦と流離王をめぐる話にはさまざまな相違があることに気づきます。

泣いている目蓮が目にごみが入ったと嘘を言った時、それを取ってあげようとする無邪気な子どもたち(第一場)。流離王たちが焼け死ぬ噂について無責任に話し合う甲・乙・丙(第四場)。これら原典には見られない人物の存在は作品に人物の彩りと作品の奥行きを与え、仏教説話を近代の文学作品に変えています。他にも、いろいろな違いはあるのですが、最も注目すべきなのは、釈迦・目蓮・流離王・好苦梵士が、「人間」として描かれていることだと思います。原典では、神通力にすぐれた目蓮が、流離王の軍を吹き飛ばしたり、自分たちの城に鉄の籠をかぶせて守ろうとしたりしようとします。また、『今昔物語集』では、滅亡させられた釈迦一族は天に生まれ変わります。このような奇談的・宗教説話的なエピソードを実篤は書きません。この作品はあくまで「人間」の物語なのです。

釈迦と流離王が対話し、流離王が攻撃を一旦やめるという原典にあるエピソードを実篤は取り上げず、逆に原典では他の者たちと一緒に水死する流離王と好苦梵士にお互いの胸を貫き合う死を選ばせました。流離王・好苦梵士と釈迦・目蓮はそれぞれ、暴力を行使する「人間」と、それを傍観して運命として諦める「人間」として鋭く対立した存在として描かれています。この暴力をめぐる対立や、暴力の無力さを強調する結末は、「人間」の無力さと、その無力さを知った時に見え始める、「人間」が秘めた大きな可能性を表現しているようです。「わしも知らない」は、「人間」の限界と可能性の物語だと言えると思います。

(瀧田浩 二松学舎大学准教授)