調布市武者小路実篤記念館

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作品鑑賞

「作品鑑賞」は、武者小路実篤の著作をわかりやすくご紹介するもので、
過去に館報『美愛眞』に掲載されたものを、再編集し掲載しております。

*日程や名称、執筆者の肩書きは、発行時のものです。

館報『美愛眞』16号 より2009年3月31日発行

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小説「真理先生」

実篤独自の「戦後文学」

戦後まもない一九四九(昭和二四)年一月から、月刊誌『心』に連載された「真理先生(しんりせんせい)」は、戦後の実篤を代表する作品です。この年、実篤は六十四歳。一九四六(昭和二一)年から一九五一(昭和二六)年まで、実篤は公職から追放されています。追放を受けたことや年代・世代の自覚が、個性的な老人たちの群像劇「真理先生」を生んだと言っていいでしょう。戦後、文壇をふくめ支配的になった西洋的な進歩観、民主主義の意識とは別に、主要人物である老人たちは東洋的なゆったりとした時間感覚の中で、それぞれ精進をはかっています。

実篤による「先生」の造形

心・先生という言葉から、夏目漱石の小説「こころ」を思い起こす人も多いのではないでしょうか。漱石の「こころ」は「真理先生」より三十五年前の一九一四(大正三)年に発表された、漱石が四十七歳の時の作品です。「こころ」は、先生を敬愛する「私」が語る小説ですが、下編は全部が先生の遺書の引用です。そこで、先生は親友のKを自殺に追いやった罪悪感から逃れられず、みずからも自殺に踏み切るまでの思いを「私」に向けて書きつづります。

実篤は漱石を敬愛していましたが、漱石の「こころ」と実篤の「真理先生」を比べてみると、ふたりの個性の違いが見えてきます。「こころ」は青年の「私」が一人称で語る物語の中に、同じく先生が「私」という一人称で語る遺書が含まれています。これに対して、「真理先生」は、おっちょこちょいな山谷五兵衛が登場人物たちを語る物語を、作者らしき「僕」がそのまま書きとめるというスタイルで、「真理先生」は山谷によって語られる一人物に過ぎません。「こころ」は「先生」の告白を中心にした、性悪説に立った作品、「真理先生」はゆったりと暮らす老人たちを軽快に語る、性善説に立った群像劇です。

個性溢れる老人たち

具体的に作品を見ましょう。山谷五兵衛は、石ばかり描いている認められない画家・馬鹿一、大らかで気迫に満ちた書家・泰山、泰山の兄で人気画家・白雲、これら個性的な芸術家たちと、最近親しくなった道学者の真理先生とのあいだを軽やかに行き来して、さまざまな関係を結んでいきます。これら主要人物たちはいずれも若くはありません。愛子、杉子という美しく若い女性、稲田という志の高い青年も登場し、彼らは老人たちと対等にわたりあう強さをもっていますが、中心はやはり老人たちで、老人たちの個性は若者の個性を完全に凌駕しています。真理先生と白雲が、馬鹿一に女性のモデルを描かせてみたいと考えたことから始まった騒動も、最後にはめでたくおさまります。山谷夫婦が仲人を頼まれた愛子の結婚式を前にしたある日、みんなが真理先生の「真理の力」の話を聞きに集まります。小説は「真理の力」の話とともに終わります。

現実認識と理想主義
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「真理先生」に終戦直後の痕を残しています。杉子が人気画家白雲に(時にヌードにもなる)モデルとして雇われているのは、彼女の兄が戦死し、家の土地は不在地主のものとして取り上げられているからです。戦争・殺人・死・天皇制について真理先生は冒頭近くで語り、暴力や金の話は繰り返されます。真理先生は戦後の現実を知らない者ではありません。「真理の力」から引用しましょう。この引用文で「真理の力」の話が終わるとともに、小説も終わります。

真理の力、我等の内心の力、それが合致して、其処に美しい花がさき、実が結ぶ世界、私はいかなる時も、その世界の出現を信じてゐるものであります。/今時にそれを信じて疑はない私は、馬鹿者かも知れませんが幸福な馬鹿者です。/だがそれを信じるものを私は馬鹿者とは思はないのであります」/真理先生は、其処で話を終へて丁寧にお辞儀した。拍手はなりひゞいた。最後まで手をならしてゐたのは、我が石かき先生(馬鹿一のこと―瀧田注)であつた。

実篤が新しき村を創設したのは一九一八(大正七)年で(実篤三十三歳)、離村したのは一九二五(大正一四)年です(同四十歳)。時は流れました。新しき村を始めた時と異なり、真理の力を作者は直接伝えようとしません。真理先生に時代遅れの自嘲をこめて話をさせ、変人の馬鹿一にそれを肯定させ、おっちょこちょいの山谷五兵衛がそれを語る。作者は山谷の語るままに書きとめるだけです。この物語の仕組みに、戦後を迎えた実篤の苦い現実認識が織り込まれています。しかし、真理と理想への思いは、重層的な語りの中で、強い信念のもと変わることなく、大事に守られているように見えます。

(二松学舎大学・准教授 瀧田浩)