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茂木氏講演記録
2008年12月30日

 調布市武者小路実篤記念館平成20年度 秋の特別展「新しき村90年」記念講演会の記録です。

講師:茂木健一郎氏(脳科学者)
日時:平成20年11月23日(日)
於 :調布市文化会館たづくり映像シアター

 茂木氏講演風景

○茂木  こんにちは。先ほど、私は調布駅をおりて、階段を上ってきたら、何かかんきつ類の香りがして、きっと掃除した後だったんだろうと思うんだけれども、何か武者小路実篤さんのゆかりの会にふさわしい香りだなと思って来ました。

 僕は、今週の木曜までワシントンに行っておりました。私の専門の脳科学の、3万人集まる学会がありまして、そこで私の学生と8件、研究発表をしてまいりました。

 ワシントンは大変寒く、タクシーに乗っていても寒風がぴゅうぴゅう外を吹いていくのがわかる。あるとき、ナイジェリア出身の運転手さんが乗っていました。アフガニスタンとかナイジェリアとか、あそこら辺の出身の方がたくさんいらっしゃるんですね。あるビルの横に来たら、「このビルだよ」とか言うわけです。バラック・オバマが大統領に当選されて、政権移行の準備をしているビルがここなんだと、非常に誇らしげに言うわけですね。

 ナイジェリアというのは、当然、アフリカの国ですから、「ケニアと近いのか」と言ったら、スワヒリ語をしゃべるわけではないんだけれども、いろんな言葉は共通で、「バラックってどういう意味なのか」と言ったら、「未来に希望があるとか、そういう意味なんだ」とか言って、「おれにも息子がいるけれども、おれの息子も大統領になるかもしれない」とうれしそうに言っていました。

 オバマという人は、2004年までは全く無名だったんですね。イリノイ州の州議会議員です。ところが、2004年にジョン・ケリーという、ほとんど我々が忘れている、印象の薄い民主党の大統領候補がいまして、その人の民主党の党大会での応援演説をして、それでみんな非常に感動したんですね。

 そのとき、オバマはトーマス・ジェファーソンというアメリカの独立宣言を起草した人の言葉を引用したわけです。「私たちは次の真理を自明なものとして認める。すべての人間は平等につくられている。生命・自由・幸福追求の権利は何人たりともそれを侵されることはない」。その演説でオバマは一夜にして全米の注目を浴びる政治家になったわけです。つまり、理想主義というんですか、それが生きていたんです、あの国では。

 一方、日本はと言えば、どうもギネスブックをねらっているようなんですよ。二世、三世の人が首相になる連続記録をどうもねらっている。この国で、理想とか考え方の力が人々を動かすということが絶えて久しくなりました、日本という国は。

 仏教の思想に「泥の中からハスの花が美しく咲く」というのがあるそうなんですけれども、僕はアメリカを見ていて思うのは、アメリカというのは現実を見ると決してきれいなことばっかりじゃないですよ。差別はあるし、ワシントンでホームレスで寝ている人はほとんど黒人でしたよ。あんな寒いところ、大丈夫かなと思っていたけれども、決して平等ではないです。ジェファーソンは「すべての人間は平等につくられている」と言ったけれども、現実は平等じゃないです。それから、現実はもちろん差別もあるし、格差もある。それは当たり前のことですね。だって、人間が生きる限り、不完全なのは当たり前です。

 僕だって、こんな体型で生まれたくなかったですよ。テレビの収録等に行くと、速水もこみちとかいう変な名前のタレントがいて、全然違うんです、僕と形……。そんなこと、一々、言う必要もないよね。この前も、フジテレビで何かの仕事をしていて、小栗旬というのがいたんだけれども、何かもうベルサイユのバラっていう感じですよ。

 すべての人間は平等につくられているというのはうそです、そういう意味で言うと。だけど、現実と理想というのはまた違うもんなんですよ。現実が不完全であるからこそ、我々は高い理想を持たなくちゃいけない。当たり前のことですね。

 僕はその当たり前のことを思い返すときに、武者小路実篤、ムシャコウジともムシャノコウジとも言うそうです。それから、さっき「新しき村」の方々とか、いろいろお伺いしていたら、ムシャクンとかムシャと言っていたみたいです。それは、そういうサインをしていたということらしいんですが。

 今回は、ムシャノコウジサネアツ、ムシャコウジサネアツ、サネアツ先生、いろいろ言い方を変えようと思いますが、今、武者小路さんの作品、あるいはやられたことを思い返す理由は、僕はここにあると思うんです。理想とか思想ということが一切、力を失ってしまったかに見えるこの日本の中で、二世、三世議員の首相連続記録みたいな、そういうギネスブックをねらってもしようがないです、ほんとうは。

 バラック・オバマのお父さんはケニアのトタン屋根の小学校へ行ったんですからね。それで、カンザスの貧しい生まれのお母さんと会って、バラックが生まれてすぐ、意外と早く死んでしまった、両親とも。「バラックというアフリカ系の奇妙な名前をつけても、この国ではその変な名前がついたということがその人の夢を追求する妨げにはならないということを知っていたから、私の母親、父親は私にバラックという名前をつけた」と、そういう演説を2004年にしたんですよね。

 最近、日本ではKYという言葉が違う意味になってきて、空気を読めないから漢字を読めないになってきているわけなんですよ。違いますね、あまりにも。でも、その違うということでぼやいていてもしようがないんですよ。アメリカでもそういう人はいるんです。ブッシュ大統領なんか、ニュークリアというのをニューキュリアと、どうもつづりがわかっていなかったらしいんです。ニューキュリア・ウエポンとか言っていてばかにされていたんですけれども、でもそれはしようがないんです。だけど、理想がある。

 僕は、「新しき村」というのは、大学生のときにたまたまふらふら行っちゃったんですよ。この中で、行かれたことのある人、どれくらいいらっしゃいますか、「新しき村」。あっ、意外と同士の方がいらっしゃるんですね。

 武州何とか(武州長瀬駅)という、東武東上線からまたこっちに行く越生線にある駅があるんですが、そこでおりるとロータリーがあって、何もない駅前のロータリーがあって、そこから住宅街の中を、たしか銀行はあったかな。住宅街の中を歩いていくんですよ。そうすると、こんな感じで曲がっているカーブがあって、そのカーブから水田におりていく細い道があるんです。その道をおりて、水田の中を歩いていって、そうすると右前方のほうに屋敷森というか、小高く丘があって、そこに森があるんですね。そこのところを回り込むように、後ろからぐっと入っていくと、シイタケとかつくっていたり、あるいは鶏がいるようなところがあるんです。そこが「新しき村」なんですよ。

 一番最初に訪れたときはどきどきしましてね。それはそうですね。武者小路さんが理想に燃えてつくった村なんだけれども、ほら、どういう人がいるかわかんないじゃないですか。別に、八つ墓村とかそういう連想はないですよ。何ていうか、勝手に入っていっていいのかなとか、思いながら入っていって、それで広場があって、その広場の横に食堂があって、食堂を入っていくと、野菜とか置いてあるんです。それで、お金、100円とか入れて、持っていってくださいみたいな。そのときに、注意書きが書いてあって、何とかかんとか、最後に「人間」と書いてあるんです。やっぱり、ちょっと変な雰囲気があるなと思って。

 その右手に、生活館というところがあるんですよ。そこに行くと、いろんな村の方のかいた作品だとか、武者小路さんの絵とかかいてあって、そこの村人の生活の跡というのがあるんですね。

 一方で、大変立派な美術館もありまして、そこの中に武者小路さんの非常に美しい絵と言葉が……、相田みつをがやるよりもずっと前にそういうことをやっていたわけですよ。相田さんは相田さんですばらしいですけれども。週刊新潮か週刊文春のいじわるな人が、「ワープロで書くと全然ありがたみがないみつを」とか、そういうパロディーを書いている人がいましたけれども、「失礼な。こんなこと書くんじゃない、君ね」、そういう感じですよね。

 僕は、そこで「新しき村」が大好きになってしまったんですね。ほんとうに好きになって、だからおそらく今まで七、八回は行っているんです。「新しき村」の幼稚園みたいなのがあって、そこの横に水田があって、冬なんかそこで遊べるんですよね。だから、そこへ行って、ちょっと高くなっているところに石を当てようとか言って、石を投げて遊んでいるとか、そういうくだらない遊びをして、ちょっとお邪魔をして、それから毛呂という駅があるんですけれども、何かでかい病院があるんですが、そっちのほうにとぼとぼと歩いていく。

 そして、八高線があるんですよね。八高線で小川町か何かに出るのかな、そこからのゴールデンコースは。小川町に行くと、忠七めし二葉という料理旅館があるんですよ。これがうまいんですよ。忠七めし二葉の話をちょっとすると、これは山岡鉄舟という人が二葉の主人に、「料理に禅を盛ってみよ」と言って、それでつくった飯なんですよ。この忠七めしの何がすごいかというと、日本三大名飯の1つなんだけれども。

 普通、御飯を食べに行って、フルコースが出ますよね。あそこは技術力がすごい高いんです。小川町っていうのは、ご存じですかね。和紙とかで有名な、「春の小川」の小川町の忠七めし二葉。立派な小懐石が出るんですよ。これ、田舎にあるにしてはすごい技術力が高いです。東京にある日本料理屋でも、いいかげんにつくっているところはいっぱいありますけれども、全然別物です。ほんとうに美しく、味もおいしく、大変すばらしいんです。

 例えば、すし屋とか入っても、すし懐石とかいって、最初に、いろいろごたごた料理が出て、最後にすしが出るとすごい嫌な感じがするじゃないですか。これが食いたかったのに、その前におなかいっぱいにしやがってみたいな。そこにたどり着くまでに時間がかかると腹が立つじゃないですか。だから、僕はすし屋へ行くと、必ず「つまみは少な目にしてくださいね」と言って、すぐにすしに行くんですけれども。それはどうでもよくて。

 忠七めしっていうのは何がすごいかというと、たどり着きますよ、最後に、忠七めしに。そこから女の方でも2杯、3杯おかわりするんですよ。すごいんですよ、これ。この話を早く終わらせないと、本題から外れちゃう。簡単に言うと、お茶づけです。大徳寺納豆とか、いろいろ薬味がついていて、それにだしをかけて食べるんですけれども、これがおいしいんですよ、もう。

 要するに、私が言いたかったのは、「新しき村」から始めて、毛呂山のほうまで歩いていって、そこから八高線で小川町に行って、忠七めしを食べて帰ってくるというのがゴールデンコースだったというか、なんですよ。

 実篤という人は、皆さん、ご存じのように、白樺派と言われる『白樺』という文芸誌をつくって、そこでいろいろな方々と、有島さんとか、つくっていったわけです。大正デモクラシーというのは、その後、司馬遼太郎の言う期待の時代と言われる、昭和の時代に突入する前の、日本が明るく、華やかに咲いた理想主義の時代というか、もちろん実篤さんはトルストイなんか随分読んで、影響されて、トルストイの理想の生活、人間とは何か。

 ほんとうにトルストイというのは理想主義の人ですよね。人間にとってどれぐらい土地が必要かというエッセーというか、小説がありますよね。大変、人間というものを普遍的に考えて、いろいろ書いた人です。実生活は奥さんがこわくて家出して何とかとか、現実はそう理想的ではないんだけれども、さっきからも言っているように、現実はどんなに汚くてもいいんですよ、理想が大事なんです。

 皆さん、お好きかもしれないけれども、グスタフ・クリムトという『接吻』という美しい絵をかく人がいるじゃないですか。あの人の写真、見たことがありますか、クリムトの。あんなきれいな絵をかく人が、もう肉感的なおやじですよ。クリムトの写真を見たら、女性の方はほれますよ。何で、こんな、いやらしい感じのおやじがあんな美しい絵をかくんだろうという、そのギャップに我々はしびれるわけですよね。

 だから、いいんです、トルストイの実生活がどんなものであったとしても。トルストイが描いた理想というのは我々を感化する作用がありますね。やっぱり、白樺派の人たちが書いているものというのは、ほんとうに美しくて、芸術がどうであれ、ある理想が……。

 私、今回、改めて『友情』という最も有名な実篤さんの作品を読み返してみましたが、皆さん、『友情』って読まれたことのある方、どれぐらいいらっしゃいますか。最近、読まれた方は。それでは、ちょっと忘れていますよね。要するに、野島と大宮というのが杉子という女を争うというか、大宮は野島が杉子を好きだというのがわかっているから、最初からあえて冷淡にしているわけですね。そこに、何とかという、中川かな、どうでもいい男が出るんですよ。どうでもいいから、中川にしておくか。杉子は一見、そいつが好きなのかなと思わせるわけです。そこら辺は小説家だからうまいんですよ、筋をつくるのが。そっちのほうに行っちゃうんじゃないかなと思ったら、実はそいつは全然関係がなかった。

 それで、野島は杉子が好きで、ずっと思っていたんだけれども、実は杉子は大宮のほうが好きだったんですよ。大宮というのは友情をすごく理想としているわけです。友情というものがあるゆえに、自分の親友に女を譲ろうとするんだけれども、でも実はその女は自分を好きになってしまった。それで、それはまずいというんで、彼はヨーロッパへ行くんだけれども、ついにその女の人はヨーロッパに行ってしまうんだよね。それを告白する書簡を往復してという形式の小説を大宮が文芸誌に発表して、それを野島が読んで、怒って、もらったベートーベンのマスクの石こう模型をたたき割るというところで終わる作品。

 非常によくできています。読み継がれる小説というのは、やっぱり理由があって、うまいです、うまい。さすが、実篤さん、うまい。当たり前だよね。あんな大御所に向かってえらいとか言っても……。自分で小説を書いてみるとわかりますよ。

 僕は『プロセス・アイ』というSF小説が1個出て、もう1個、『トゥープゥートゥーのすむエリー星』という童話が出ていますけれども、三文文士です。ちょっと話題がそれますが、三文文士という言葉は、私の大親友に和仁陽というくるくるぱーみたいに頭のいいやつがいて、僕たちの学年の共通一次、全国1位なんですけれども、高校の卒業文集のタイトルが、ほかの人が高校時代の思い出とか、そういうことを書いているのに和仁陽だけ「ラテン民族における栄光の概念について」という、今、東大の法学部の先生をしています。

 その和仁とこの前、「人魚の嘆き」という有名な文壇バーが神田にあるんですけれども、そこで飲んだときに、三島由紀夫の話をしていて、和仁陽が「三島由紀夫先生は立派だけれども、おまえなんかは三文文士だ」と言われて、すごくうれしかったんです、その三文文士というのが。それ以来、三文文士という言葉が好きで、好んで使っているんです。

 大体、そういうふうに言ったら、今の現代作家なんてほとんど三文文士だわな。それは置いておいて、やっぱりうまいです、実篤さん、うまい。もう一度、読まれるといいですよ。うまく書けています、あれは。そんなことを一々言っても……、ほんとうにうまいです、あの文章。

 あの小説は、理想というものを抱いて、行動するという人たちが描かれているわけですよ。やっぱり美しいんだな。ここからが今日の大きなテーマになるんですけれども、さっきから申し上げたように、現実は必ずしも美しくない、不完全だ、醜い、時に。しかし、我々は理想を抱かなければいけないという、そこまでは皆さん、いいと思うんですよ。

 ここにもう1つ、実はやっかいなものがある。それを『友情』という小説はきちんと描いているんです。その3つの目のやっかいなものとは何でしょうか。ひょっとしたら、この3つ目のやっかいなものを見直すことが、僕はこれからの日本人、あるいは日本の生きる道を考える上で非常に大事なことだと思うし、そしてまた「新しき村」という武者小路実篤さんがつくった理想主義に燃えている組織の意味、僕は非常に意味があると思っているんですけれども、それの意味もちょっと問い直すことになると思うんです。

 それでは、現実と理想の3つ目の何かというのは何か。関係する3つ目の項は何か。『友情』という小説の中には、1つだけ小説が引用されているんです。武者小路実篤は大変その小説家を尊敬していたんでしょうね。実篤さんは木曜会という会をやっていたそうです。毎週木曜日だけ面会日にしていろんな人が集っていらしたそうですが、その木曜会というならわしをもともとやった人というのは、皆さん、ご存じのように夏目漱石です。漱石山房というところに木曜日だけ弟子たちが集まってやったわけです。内田百間だとか、寺田寅彦だとか、そうそうたる人たちが漱石を慕ってやってきていたわけです。

 漱石の『それから』という作品が『友情』の中では引用されています。引用されているというか、『それから』の代助のようにみたいな形で、『それから』という作品が登場人物の会話の部分に出てくるんです。『それから』という作品を読まれた方、どれぐらいいらっしゃいますか、今日は何か大学の授業をやっているみたいな……。

 皆さん、優秀ですよ。ちょっと名前は秘しますが、僕はある女子大で教えていたことがあって、250人いて、250人ですよ、「漱石の『我が輩は猫である』を読んだことのある人」と言ったら3人ぐらい。悲しい時代ですよね。

 『それから』というのはお読みになった方はご存じだと思うんですけれども、僕は漱石の作品の中でも最も好きなものの1つで、一番ロマッチックな作品ですよね。代助という高等遊民、親の援助で生きている。しかし、実際には何もできない。代助という男が昔、平岡という男に三千代という女を譲ったわけです。譲るというのは、ほんとうは好きだったけれども、譲っちゃったわけです、やっぱり友情のために。

 そういう意味で言うと、『友情』という作品は『それから』という主題による1つの変奏曲と言うこともできるんだけれども。再会してみると、どうも三千代は幸せではないようで、平岡もあんまり人生がうまくいっていないようで、代助は三千代に同情する。しかし、それはまた再び燃え上がる愛になってしまうわけです。

 代助の親は社会的体面を大変気にする人ですから、「見合い結婚をしろ」と言うわけです。でも、代助がそこでもし父親の話を断って、三千代との不義に走ったら、それはもう父親からの経済的な支援が得られなくなることであるということを知っているんですけれども、それでも三千代に心引かれていくという自分をどうすることもできない。三千代も代助に心を引かれていく。

 ついに、決定的な場面が訪れるわけですよね。ユリの花を間に挟んで、二人が対面して、三千代がのどが渇いたと言って、そこら辺は漱石もうまいんですよ。ユリの花の花瓶から水を直接、飲むシーンなんだけれども、非常にエロチックです。ユリというのは、『受胎告知』なんかにも出てくる絵で、要するに処女性とか、女性性とか、女性の生命とか、そういうものを象徴する花ですけれども。

 要するに、なっちゃったんです。しようがないから、そうなっちゃったからといろんな人に言って、そこで三千代は「しようがない。覚悟を決めましょう」と言うんです。女がそういうふうに言うとこわいよね。男としてはもう逃げようがない。「しようがない。覚悟を決めましょう」と三千代が言って、それでついにそれが露顕しちゃって、代助は父親からも援助を打ち切られて、最後は代助が何か働かなくちゃというんで、町に出て、目に飛び込んでくるものがみんな赤く見えるわけですよ。今日、ここにも赤い服を着ていらっしゃる方がいらっしゃいますけれども、もうみんな世界中が赤くなって、代助はどこまでも行くみたいなところで終わる。

 この小説は、何を描いているかというと、漱石の『それから』は、自然の問題なのです、自然、ネイチャー、人間の内なる自然。これには勝てないという思想ですね。つまり、社会的体面とか、例えば義理とか、そういうものに、だれかに引かれてしまうという気持ち、そういうものが、ついには勝ってしまうということです。

 ゲーテの『親和力』という小説があって、違う人と結婚しちゃったんだけれども、やっぱりお互いが好きでしようがなくて、それが親和力としていろんな作用を及ぼすという小説があります。ドイツロマン派なんかにもそういう思考はあるんですけれども、ロマンチックというのは僕はそういうことだと思うんです。要するに、自分の内なる自然には勝てないという考え方です、『それから』の思想というのは。

 それを受けた武者小路実篤の『友情』という作品も、結局、自然には勝てないという……。つまり、なぜその人を好きになるのかというのは、本人にもわからないんですよ。悪いなとは思いながら、つまりこんなに親切で、こんなに私のことを思ってくれるんだけれども、どうしても恋人とは思えない、恋人としては考えられないっていうことがあるでしょう、女性の方。すごくいい人なんだけれども、そういうふうには考えられないって。

 それでは、それはどうすればいいのか。もし、その人がほんとうにいい人で、誠意を尽くしてくれているんだったら、人の道としてはやっぱりこっちも誠意を尽くし、向き合わなくちゃいけないんだけれども、その誠意を尽くして向き合うということの中には、その人を愛するっていうことが入っていないんだよね。愛するっていうのはもっと自然のもので、自分にもどうすることができないことなんです、制御不能なことなんですよ。

 『友情』という作品は、男女の愛を描いて、それが結実するという、非常にハッピーエンドではあるんですが、しかし一方で人間の内側に制御できない自然があるという、恐ろしい事実も描いているわけですよね。よろしいですか。それは皆さんもそういう制御できない自然に翻弄されてきた過去があるでしょう、ないんですか。(笑い)

 理想っていうのは、結局、自分の内なる自然とうまく折り合いをつけなければ、絶対にうまくいかないということを我々は過去、何回も苦い経験で知っていますよね。すべてのユートピアは崩壊する、ユートピア幻想は崩壊する。

 僕は、「新しき村」がここまで続いてきたというのはすごいことだと思っているんですよ。それは1つのユートピア建設の夢だったわけでしょう。それで、その夢がここまで続いているというのはすごいことですよ。何か自然とうまく折り合いをつけているんですよ、あの村人の方々は。ここにも何人か村人の方がいらっしゃいますが。会員というのが正式名称で、会員の方々は何か折り合いをつけているんです。要するに、これはすごく大事なことです。

 つまり、どんな理想を言ってもいいんだけれども、自分の内なる自然ということと、決して闘いをしてはいけない。自然と闘いをするというのが我々人類の今までの文明の愚かなところだったわけでしょう。そのしっぺ返しを我々は今、受けていますよね。地球温暖化だとか、そういうことで地球が今、我々にしっぺ返しをしているわけだけれども、理想というのは我々の内なる自然と調和するものでなければいけないんですよ。

 僕は、どうも武者小路実篤という人はそこら辺の秘密の一端を知っていた人なんじゃないかなと。武者小路実篤の理想主義というのは、決して教条主義ではないんですよね。もっとおおらかなものなんですよ。それは彼の書いた、いろいろあるんですよ。絵があって、そこに書いてある。例えば、「これをつくったときには生きた心地がしただろう」とかいうのがあったかな。おばあちゃんがいて、そのおばあちゃんを見て、手を合わせて、何とかというのがあったよね。知らないですよね。あるんですよ、そういうのが。心の中に手を合わせて、ああ、このおばあちゃんはすばらしい人だみたいな、何か決しておごり高ぶらず、感謝して、足るを知るというんですかね。

 ごく小さなものの中にある喜びを一生懸命慈しむみたいな思想があの方の中にはあって、理想主義者っていうのは時に誇大妄想狂になるわけです。それはドストエフスキーが『悪霊』という小説の中で書いていますが、そういうのとは違う。だって、いるでしょう、そういうのが。

 この中で、世代的に学生運動とかにかかわったというか、同時代の人、いらっしゃると思いますが、あれは完全に自然からは乖離していますよね、あの人たちのやっていたことは。だから、就職が決まると髪を切ってくるわけでしょう。これは「『イチゴ白書』をもう一度」という歌の中に出てくる。それは、理想を一生懸命言っていたけれども、就職という現実になると髪の毛を切るわけだよね。だから、それは自分が生きているという自然の身の丈にそぐわない理想だったわけでしょう。

 ソビエト連邦だとか、ああいう理想の国をつくるという試みがとんざしたということが、理想を持つということに対して、我々をちょっと臆病にさせているところがあるのかもしれないんですけれども、好意的に見ればですよ、今の日本の状況というのは。だけど、それは我々の身の丈に合わないものだったからなんですよね。でも、合う理想だったらはぐくめばいいじゃないですか。

 僕は、今、カネボウという化粧品会社の人たちと化粧の研究をしているんですよ。その発表もワシントンでやってきたんです。さっきから申し上げているように、現実は必ずしも美しくないと。(笑い)これは笑うところじゃないですね。済みません。

 美人というのは平均顔なんですよ。ここにいらっしゃる方々は、皆さん、非常に美しい方々ですが、皆さんの写真を撮りまして、コンピューターの上で、コンピューターグラフィックスで平均した顔をつくりますと、絶世の美人になるんです。ものすごい美人なんですよ。

 この話を私の師匠である養老孟司さんにしたところ、「茂木君、それはおかしいよ」と言うわけですよ。「どうしてですか、養老先生」と言ったら、「だって、君、もし君の言うことがほんとうだったら、世の中にもっと美人がいていいはずじゃないか。どうしてくれるんだ。金、返せ」と言うわけですよ。

 養老さんが言われるのは、大体、こういうガウス分布というのをしているんです。だから、平均値の周りが一番多いんです、身長でも体重でも。確かに、平均顔が美人顔なんだったら、もっと美人が多いはずですよね。「どうしてくれるんだ」と言うのはわかります、それは。

 どうしてだと思いますか。これが何かおもしろいところでね。身長とか体重とか、我々、パラメーターという言い方をしますが、ある1つの変数、分布を見ると、確かにこうなる。顔の変数というのは100とか200とかあるわけです。100あるとしましょう。100全部平均だったら、ものすごい美人なんです。惜しい人がいっぱいいるわけですよ。60までは平均値なんだけれども、あとの40がすごい個性的なところに数字があって、残念ながら惜しいことをしましたねと。100のうち、例えば90が平均値だったら、ものすごい、モデル並みですよ。逆に言うと、美人じゃないということは、個性的だということなんです、平均から外れているという。でも、女性の方、一生懸命化粧をされますよね。現実は必ずしも理想ではない。化粧というは、簡単に言えば、平均に近づけるということなんです、顔のいろんな特徴を。

 それでもって、金曜日、椎名誠という作家と僕は対談していたんです、新宿で。10年前に町を歩いていたら、向こうから歩いてくるおじさんがいきなり、「あんた、椎名誠に似ているね」とか言うんですよ。僕はファンだから、まんざら悪い気もしないで、「へぇー」とか言っていたら、「もっとも、あんたはちょっと肥えてとるけどね」と言って、うるさいんです、そんなこと言うなと。

 その椎名誠がいつも言うんですけれども、男子トイレで鏡に向かって、髪の毛をいろいろこうやっている男を見ると殺意を感じると。そうなんですよ。見ないことはないんですよ、男も。ちらっと鏡を見て済ますというのが男の流儀です。女の方は、二、三十分、朝、こうやってやるでしょう。あのときに、何が脳の中で起こっているかということを我々は研究していて、化粧の研究というと、ちょっと軽い感じがするけれども、そんなことはないんですよ。自分というものが社会的にどう構築されるかということを研究しているんです。自己の社会的構築ということを我々は化粧を通して研究しています。

 fMRIという脳の中の活動の様子をイメージにできる装置を使って、女性の脳を調べているんです。我々が研究した結果、化粧をするということは、脳を化粧するのと同じである。要するに、脳の状態が変わっている。どう変わっているかというと、女性はもちろん素顔は自分の顔だと思っていますよ。化粧した顔というのは、実は他人の顔だと思っている。ということが脳活動でわかるんです。脳の右半球に紡錘状回(Fusiform gyrus)というところがありまして、そこで他人の顔を見ているときの活動と自分の顔を見ているときの活動は違うんですね。それがfMRIでわかるわけです。

 素顔の自分の写真を見ているときは、確かに自分の顔を見ているという活動が生まれるんですが、化粧をした自分の顔を見ると、他人の顔を見ているのと同じ活動になるんです。化けるとよく言いますが、女性は別の、他人の顔になるんですね。

 そういう話をある会で林真理子さんにしたら、林真理子さんは何て言ったかというと、「いや、茂木さん、それは違う。私は化粧をしない、素顔の自分の顔は絶対、自分の顔とは認めていない。化粧をして、美しくなった顔が私の顔だ」と林真理子さんはおっしゃっていたので、今度、林真理子さんにもfMRIの機械に入ってもらったら、脳活動としてほんとうにそうなっているかどうかわかる。

 その会に、有森裕子さんというマラソンの方もいらっしゃって、あの方は化粧をしないそうですが、有森さんの顔の認識がどうなっているかということもちょっと興味があるんですけれども、とにかく、女性というのは自分の顔を美しくつくるという、生涯かけて、一画家として顔に絵をかいているわけですよ。

 あと20分ぐらいで質疑応答にいたします。僕、思うんですけれども、外見を美しく装うということに我々はすごく熱心でしょう。何で心を美しく装う、心を美しく高めていくっていうことにこんなに無関心になってしまったんですかね。

 鏡って大事なんですよ。僕は、「新しき村」に何で行っていたのかなと。いつもすがすがしく、美しい気持ちがしたんですよね、あそこに行くと。白樺派というのはなかなかすばらしいネーミングで、僕は武者小路実篤という人は全体としてアーチストだったなと思うんです。つまり、『白樺』という雑誌をつくるとか、その『白樺』が母体となって、当時、日本であまり知られていなかった印象派の画家たちの作品を日本に紹介するとか、「新しき村」をつくるということとか、「新しき村」の活動を支えるために、印税を使ったりとか、絵をかいて、それに文字をつけ、それを画商に渡して、それで何がしかの運営資金を稼ぐとか、そういうことをすべて含めて、僕はあの人は1人のアーチスト、表現者だったと思うんですが、表現者の心の中には美しい何かがあるんです。

 僕の親しい友人のアーチストに内藤礼というすばらしい作家がいますが、内藤礼は言います。「この世で一番美しいものは人の心の中にある」と。僕はそれを感じます、「新しき村」に行くと。何か違うんですよ、現代と。この我々の見知っている現代とは何か違う精神があそこには流れている。

 人間って、心の鏡というのは他人に向き合うことでしかないんです。自分の心を映してみるためには他人と向き合うしかないです。脳の中にはミラーニューロンというのがありまして、前頭葉に。このミラーニューロンが自分と他人を鏡に映したように表現しているんですね。私がこうやって手を動かすと、皆さんの脳の中でミラーニューロンが鏡に映したように、やっぱり自分もこういう行動をしているように活動するんです。

 このミラーニューロンという神経細胞の働きで、我々は他人とコミュニケーションをとったり、自分を見詰めたりするんですけれども、それは他者と向き合うことでしかはぐくまれないんです、他者と真剣に……。『友情』という作品の中には、友人と非常に真剣に向き合っている、そういうありさまが描かれています。女性が鏡を見て美しく自分を装おうと努力するのと同じように、我々は他者という、他人という鏡がなければ自分の心を高めていくことはできない。おそらく、今の日本から欠けてしまっているものというか、なくなってしまったものは他者なんですよ、他人。

 電車の中で化粧している女の人が一時期、問題になりましたけれども、あの子たちは外見に対しては鏡を使っているんだけれども、自分の振る舞いとか、そういうことについては鏡を使っていない。どんなに顔を、ここだけ美しくしても、振る舞いとか、装いとか、生き方とか、しゃべり方とか、そういうことをすべて含めて美しくはなっていない。実は、顔を美しくするということも大事なんだけれども、それよりも深くて、難しい問題は目に見えない鏡に自分を映して、その姿、振る舞いを直していくということなんですよ。

 僕は、おそらく武者小路実篤という人はそういうことを知っていたんだろうなと思います。「新しき村」に行くと、何ていうか、まあ、行ってみてください。何ていうか、違うんだよ、今と、全く。別に、時代に取り残されてとか、そういう意味じゃないですからね。そういうことじゃなくて、美しい人間の生活がありますよ。里山というのかな、こういう生き方があるんだなと。じゃ、それに比べて我々はどうなんだろうという、自分を振り返る、いいきっかけになる。

 だって、皆さんが「鏡を使わないで、暗やみの中で化粧をして、世の中に出ていってください」と言われたら、どうします。それは恐怖でしかないでしょう。鏡を使わないで化粧をして、こうやって適当に塗りたくって、鏡を見て、それを確認することなく、世の中に出ていってくださいと言われたら、それはやめてくれと言うよね。

 何で同じことが心とか生き方には感じられないのでしょうか。今の日本はひょっとしたら、自分たちの生き方とか、すべてがどんなに醜くいかということを知らずに生きちゃっているのかもしれないですよね。

 僕は、さっきKYを「漢字、読めない」と言ったけれども、そういうネタ的なことはどうでもいいんですよ。ワイドショーとか、そういうのが好きでやっているでしょう。僕は、日本のああいうメディアの中の言説で、1つ、不思議でしようがないのは、だれも理想を語らないということです、日本をどうしたらいいのかという。何で、それを語る政治家がいないんだろう。

 新聞の政治記事を読むと、国会延長をどうするとか、解散権を握って、どうのこうのとか、駆け引きの話ばっかりです。そういうのは政治家じゃなくて、政治屋のやることでしょう。ポリテシアンとステーツマンは違うんで、ステーツマンがいなくなっちゃったんですよね。ステーツマンをはぐくむような評論もなくなっちゃったんですね。我々は、今、理想をなくしちゃったんですね、この国は。でも、それはほんとうに化粧をしないで、あるいは鏡を使わないで、適当に塗りたくって、国際社会をばっこしているのと同じことです。ものすごい恥ずかしいこと。

 僕は、この後、新宿で白洲信哉という飲んだくれと対談しなくちゃいけない。白洲信哉というのは、白洲次郎というすごい格好いい男と、白洲正子という日本文化のカリスマ、それから僕は『脳と仮想』というエッセーというか随筆で小林秀雄賞をいただいたんですが、僕が非常に尊敬するその小林秀雄さんの孫です。だから、日本の文化のロイヤルストレートフラッシュみたいなやつなんだけれども、本人は飲んだくれなんです、いいやつなんです。今月号の『新潮』に小林秀雄の講演のCDがついて、僕とその白洲信哉が対談しているんで、もし興味がある方は文芸誌の『新潮』ですね。

 何で今、白洲次郎、人気があるのかというと、やっぱり凜とした生き方がそこにあるからでしょう。イギリスのケンブリッジに留学していて、日本の占領時代、GHQと渡り合うわけです。アメリカの高官が白洲次郎に向かって、「おまえの英語、うまいな」と言ったら、白洲次郎は何て言ったかというと「ええ、あなたも鍛練すれば私のようになります」と言ったそうですが、全然、もう一歩も引かない。そういう生き方をどこかで日本人は忘れちゃいましたね。

 やたらと威張るということじゃないんですよ。「日本はグレートだぜ」、「すばらしい文化を持っているぜ」みたいなことを身内でちまちま言ってたった何の意味もないからね。そもそも日本語で書いた瞬間に、日本人しかほとんど読まないということがわかっているんだから、日本語で日本はすばらしい国だなんて書いていたって何の意味もないからね。それは全く意味がないからね。

 そういうことじゃなくて、白洲次郎のようにちゃんと外国も知っていて、異文化も知っていて、それで凛と一歩も引かない。そういう美しい日本人というのは絶滅危惧種というか、もう絶滅しちゃったのかもしれないんですけれども、僕は武者小路実篤さん白樺派の活動というのは、何か日本に咲いた一輪のユリというか、美しい何かだったんだなと思います。あの人はそういう意味で言うと、かなり覚悟のあった人なんだろうなと思います。その覚悟ということを、我々は忘れちゃっているのかな。

 『愛と死』という小説なんかは、1つのプロテストですよ、戦争に突入していった日本に対する。愛というものと死というものを対峙させているわけなんですけれども、死というものをそう軽く扱うなと。そんなことをあの当時、書くのはなかなか大変だったでしょうけれども、でも表現者というのはそういうものです。自分の本心をずけずけと言うのは評論家のやることで、表現者というのは一番肝心なことは隠すんですよ。

 この中で、若い方でもし小説家とか目指す方がいらっしゃったら、僕も三文文士だけれども、一番肝心なことは隠すんです。それはモナリザを見ればわかるじゃないですか。ダ・ヴィンチは一番肝心なことを隠したんですよ。それが何なのか。ひょっとしたら本人にもわからないのかもしれないんだけれども。だからこそ、我々はあのなぞのほほ笑みにずっと魅せられてきているわけです。

 僕は武者小路実篤という人はきっと一番大事なことはうまく隠し続けたんだろうなと思います、表現者として。それはきっと何か美しいものだったんでしょう。秘仏ってありますよね、ご本尊を絶対に見せないという。これは日本だけで発達した、例えば善光寺なんかもそうですけれども。織田信長とか、あの秘仏が欲しくてしようがなかった。ご開帳のときだけ見せるというんじゃなくて、絶対秘仏ですね。善光寺の秘仏は善光寺の人たちでさえ見たことがない。

 それでいいんですよ、人間というのは秘仏で。自分の美しい理想とかそういうものは、自分の内側に秘仏としてあればいいわけです。ですから、武者小路さんが言葉で書いていることが彼の理想の核心だと思う必要は必ずしもなくて、もちろん言葉というのは大事で、それを我々は真剣に読むべきだけれども、何かあの人の生き方とか、歴史だとか、そういうもの全体の中から輪郭としてぼんやりと浮かび上がってくる、その何かに我々は時々向き合ってみるべきなんじゃないですかね、この汚れてしまった現代の日本の中で。そうすると、そこに映る自分たちの姿に何か我々は戦慄せざるを得ないんじゃないんですかね。僕はそう思います。

 僕は決して絶望はしていないんですが、楽観もしていません。脳科学者として、脳は楽観的に働かないと前頭葉の回路が働かないんだという事実はいつも申し上げていますが、僕は自分の人生については楽観していますが、でも日本という国の将来についてはそれほど楽観してはいません。そんな甘いものではないと思います。

 でも、そんな中で、武者小路実篤という人は必ず大事な人として、これから再登場してくるんじゃないでしょうかね。僕は改めて『友情』という作品を読み返して、そう思いました。

 さて、あと7分ぐらいですが、残りの30分の時間は質疑をとってもいいんだけれども、ちょっとそちらの方も心の準備があるだろうから、これは全然打ち合わせも何にもしていないんですけれども、僕だけじゃなくて、新しき村の会員の人もちょっとこっちに来て、いろいろ質問とか受けたほうがいいと思うんで、会員の方々、よろしいですか、済みません、理事長の方とか。5分ぐらい前に予告しておかないと心の準備ができないかなと思って、終了5分前に予告しました。

 というわけで、今日は「新しき村」、それから武者小路実篤を中心にお話をしてきたんですが、あと5分、せっかく脳科学者としていろいろやっているんで、脳科学のちょっとした話をして終わりにしようかなと思います。おまけというか、のり代の部分という感じですが。

 今年、『脳を活かす勉強法』というのが大変売れまして、75万部、今出ています。その内容を簡単に説明して終わりにしようかなと、買わなくて済むように。もういいんですよ、75万部も売れたから。それ以上、売れなくてもいいやという感じ。

 要するに、ドーパミンという物質があって、そのドーパミンというのが脳の中で放出されますと、その前にやっていた行動の回路が強化されるという、これが強化学習というメカニズムです。これは脳科学者だったらだれでも知っている事実なんですね。

 『脳を活かす勉強法』というのは、僕がいかに苦労しないで受験をすいすい乗り越えてきたかという、別に嫌みじゃなくて、そういう本なんですけれども。もし、ご自身の資格勉強とか、あるいはお子さん、お孫さんの勉強などで悩んでいらっしゃる方々、これがすべてなんです。

 つまり、何か行動して、ドーパミン、うれしいという物質が出ると、その前の行動が強化される。例えば、ビールを飲む。ドーパミンが出る。もっとビールが飲みたくなるという、ビールの強化学習だとか、だれかに会う。ドーパミンが出る。もっとその人に会いたくなるという恋愛の強化学習とか、いろいろあるわけですけれども。

 同じなんです。算数の問題を解く。ドーパミンが出る。算数の問題を解く行動が、回路が強化される。これだけの話なんですが、このドーパミンの強化サイクルを回せば、だれでも勉強ができるようになるんですけれども、ただしがあるんですよ。

 このドーパミンという人は、そう簡単には出てくれないんです。つまり、今の自分にとって全力で努力して、やっと超えられるような目標を設定して、その目標をクリアしたときに一番良質なドーパミンが出るんです。勉強ができない子というのは、そのメカニズムを知らない。易し過ぎるとドーパミンは出ないんです。それから、難し過ぎても今度はやる気がなくなっちゃって、できないんですからね。その目標を自分で設定できるかどうかということがすべてなんです。

 僕はそれができたんです、小学校低学年のときから。そのときに、他人との比較は関係ないんです。偏差値だとか、ほかの人とどれぐらいおくれちゃっているとか、それは関係ないんです。自分の脳にとって一歩前進であれば、それでドーパミンは出るんです。

 だから、おそらく勉強ができない子っていうのは、自分にとってはハードルが高過ぎて、やる気をなくしちゃうんです。しかも、そのハードルを親とか教師とか他人に押しつけられちゃうわけです。でも、ほんとうに自分にとって適切なハードルは何なのかということは、その子が一番知っているんです。だから、自分で勉強の課題を設定して、それを超えるという、この習慣さえつければ、どんな子でも伸びていくんです。

 ウサギが先に行っちゃっていて、カメが後から一歩一歩、のろのろ行くとしても、そのカメの一歩一歩の歩みが確実にドーパミンのサイクルを回すものであったら、いつかカメはウサギを抜くでしょう。1年や2年おくれたって大したことじゃないです。武者小路実篤のころは落第とか当たり前ですから。志賀直哉だって、2年落第しているんですから。それで、武者小路実篤と会っているんですから。あの志賀直哉ですよ、小説の神様の。あいつ、2年落第ですよ。

 だから、このこつさえつかめば、どんな子でも勉強ができる。子供だけじゃないです、大人も。勉強だけじゃないです。いろんな課題があるでしょう、人とうまく話すだとか。例えば、仕事をうまくやるとか、すべて自分で課題をうまく設定して、それを乗り越えることで、脳の喜びを感じるということができるならば、何歳になっても人間の脳は伸びていきます。

 武者小路実篤という人は、やっぱり90歳までそういうことをずっと続けた方だと思いますね。おそらく、彼にとって絵をかくということも含めて、常に武者小路実篤先生はこのドーパミンの強化サイクルを回していたんじゃないかなって思いますけれども。

 というわけで、私の話は以上といたしまして、ご質問とか、いろいろ……、ぜひ「新しき村」の関係者の方々にも加わっていただいて、やっていいですか。というわけで、どうもありがとうございました。(拍手)

○司会  どうもありがとうございました。

 それでは、村の方も一緒。石川理事長ほか、何人か村の方がいらっしゃっていますので、ぜひこちらに、舞台のほうへお願いします。

○茂木  僕に対する質問というよりも、一人ずつ自己紹介していただいて、ちょっと村のことを話していただくという時間のほうがおもしろいと思います。おそらく皆さん、すごい興味を持っていらっしゃるので、じゃ、どうぞ。

 福島さん、仕切っていただけませんか、ひどいゲストで。

○司会  それでは、「新しき村」の現在、理事長で昭和20年代には村の生活もしたことのある石川清明さんです。

○石川  石川でございます。現在、理事長という立場でおりますが、「新しき村」というのは本来、上下関係がないのです。みんな同じなのです。先生も一村外会員でおりましたし、私も村外会員という立場です。財団法人という届けをいたしましたので、理事長という格好になっておりますが、もともとそういう立場でやっております。

○瀬戸山  瀬戸山です。私は、18歳で鹿児島から上京してきて以来の、この中で唯一の村の中で生活していない、いわゆる村外会員だけでやってきました。したがって、村の生活そのものは知りません。外で、村とのかかわりで、先ほど来、先生の話された武者小路実篤先生の「新しき村」の理想というものを、自分の生活の中で、個人の生活の中でどう考えるかというようなことで、普通のサラリーマンをやりながらやってきました。定年後、今、村にかかわる仕事をちょっと手助けしている者です。

○安井  僕は武者小路先生が70代のときに20歳で入村しまして、埼玉の「新しき村」に9年間住みました。今、その当時の先生の70代、僕が今72歳になりまして、そういうふうになっていまして、まあ、そうですね。僕は百姓の生まれで、兵庫県で生まれまして、工業学校を出て、就職難で就職がうまくいかなくて、小さな町工場で1年ぐらい働いていました。その当時に、筑摩書房から出ました『武者小路実篤集』を読みまして、亀井勝一郎さんの解説のところなんかに、「新しき村」の紹介がありまして、それでそこへ兵庫のほうから手紙を出しました。村に住んでいた2人の人から返事が来まして、勝手に7月に訪ねていって、それで入村して、9年間。

 僕にいろんなことを教えてくれたのが「新しき村」で、牛の乳搾りをしながら、間に寂しいものですから、毎日、手帳に何か書いていて、それが詩のような、自分の本音を書くというようなことで、毎日、新しいものを見つけたいということでやってきました。

 結婚するときに、牛を飼っていても、牛が村の役に立っているというものではなかったですから、1人で生きるには非常に自由に、ほかの人に遠慮なしに生きていましたけれども、ここで結婚するとなると、僕はちょっと重荷に思いましたし、中だるみもあったんでしょう。

 それで、僕は村を出まして、それからトヨタ系の自動車会社に、流れ作業に入りました。30歳から、この流れ作業がきつかった。それで、10年半ほど、毎日、定時で帰りました。それが高度成長の時代で、2時間残業が普通だったんです。そこを僕は頑張ってというか、無理やりに定時で、毎日帰りました。それで、畑をやったり、読書会を隣のおじさんたちとやってみたりしました。

 だから、その当時に、『イワン・デニーソヴィチの一日』なんて読みますと、そういうのが自分の、その当時の工員生活、時間を測定されてまして、大変な仕事ですから、それを定年まで、結局30年勤めました。出世は全然しませんでしたけれども、それで定年になってから絵をかいて、もとの二十の自分に戻った気がしまして、今、73歳でやっていますけれども。

 そうですね、すべて「新しき村」、どこがどうなって自分ができ上がったのか、できていないのかわかりませんけれども、今、茂木先生の話を聞いていまして、非常におもしろいと思いました。僕も自分のできることのあれで、少しずつ、下手でも何でも絵をかきますし、変な文章も書きますけれども、少しずつそこで喜びも得られるようなということで、これからもこんなふうな感じでいけると思っていますけれども、やっぱり自分というものが少しずつわかってきました。ほんとうにつまらない人間ですけれども、「新しき村」の今、日向のほうの財団法人の理事長を僕がしているんですが、全然似合わない理事長ですけれども、愛知県から来ました安井という者です。(拍手)

○司会  どうもありがとうございました。

 現在、毛呂山の「新しき村」で最年少の村内会員でいらっしゃいます、倉敷さん。毎日の生活の様子など、ご紹介いただけますか。

○倉敷  倉敷と申します。村に住み出したのが、11月23日だったので、ちょうど今日で丸6年になりました。村に来てからはシイタケの植菌をやったり、養鶏をやったり、今は田んぼの仕事をしております。

 生活は、そうですね、休みは週1回ですね。1つ、魅力的だと思うのは、村には命令がないというのが不文律になっていて、それでやっているというのは魅力的ですね。

 あと、仕事だと、ほかに炊事をする係がいたり、昼御飯も夜御飯もその方々がみんなの分をつくってくれて、お風呂を沸かす係なんかもいて、それに通勤時間も要りませんから、仕事が終わったら御飯を食べに行ったりして、その後、部屋に帰って、勉強をしたり、本を読んだりして、結構、勉強時間がとれるというのは村に住んでいてありがたいことだと思っています。

○司会  どうもありがとうございます。

 石川さんから、現在の村をご紹介いただけますでしょうか。

○石川  現在の村は2つございます。一番初めにできました日向の「新しき村」、これは今4人で暮らしております、2夫婦です。非常に地道な動きしかやっていないとは思っています。

 それから、こちらの埼玉の村は、東京から電車に乗って大体1時間、おりて約20分というようなところにございます。お訪ねいただければと思っていますが、ここでは18人が暮らしております。やっぱり、高齢化というものが訪れて、若い人がなかなか入ってきてくれない。彼なんかもお嫁さん探しのほうなんだろうと思います。いい方があったらばご紹介いただければと思っているくらいなんですが、田んぼのほうの係、それからシイタケ、ほかに鶏卵と、こんなものを中心に日常の生活を進めております。

 大変、評判もよくて、即売もしております。1時間で行けて、こんなところがあるかなというようなところだと思うんですが、いいところだと自画自賛になりますけれども、申し上げていいんじゃないかと思います。ぜひ、お訪ねいただければという気持ちでおりますので、どうぞよろしく。

○司会  どうもありがとうございました。

 それでは、そろそろ質疑応答ということで、よろしいですか。茂木先生も含めて、皆さんに聞いてみたいこと。この機会でございますので、ぜひともお手を挙げて、ご質問いただければと思います。ご質問のある方、ぜひぜひ。ございますか。

○茂木  最初がやりにくいですよね。

○司会  はい、ありがとうございます。

○――  今回の講演会とはちょっと関係がないと思うんですけれども、茂木先生が生まれて、今までで一番おもしろかった本などを紹介していただければ、自分も参考になると思うんですけれども、よろしくお願いします。自分はあんまり本を読まないんで、そういう意味でもこれだというのを1冊……。

○茂木  ほんとうに『友情』はおもしろい、ほんとう。読んだ?

○――  『友情』は読まさせていただきました。

○茂木  読んだんだ。先ほどおっしゃっていた『イワン・デニーソヴィチの一日』ってすばらしいです。読んだことありますか。

○――  いや、ないです。

○茂木  ソルジェニーツィンのデビュー作で、ノーベル賞をとった、これはすごいよ。ほんとうにうまく書けていますよね。『イワン・デニーソヴィチの一日』について、ちょっとご紹介いただけますか。

○安井  いやいや、僕、全然、忘れています。すばらしいですよ。

○茂木  今、ロシア文学ブームで、こんなに薄い。1日のことしか書いていないから。でも、これはほんとうにすばらしい小説です。こんなにうまく書ける人はもういないというぐらいですね。

○安井  そうそう、すごいです。

○茂木  覚えました? 『イワン・デニーソヴィチの一日』。読んでみてください。

○――  はい、わかりました。ありがとうございました。

○司会  次、いらっしゃいますか。ぜひ、この機会に、ご質問を。瀧田先生、いかがですか。

○瀧田  それでは、茂木先生にお伺いしたいんですけれども。理想とかユートピアというのは、脳にとっていいものなのか、悪いものなのか。そのあたりをちょっとお伺いしたいと思います。いかがでしょうか。

○茂木  僕が瀧田先生にいろいろお伺いしたいことがあるんです、武者小路実篤のご専門の先生なので。じゃ、1問ずつにしましょう。僕が答えたら質問してよろしいですか。

 この感じがほんとうに何かいいですよ、武者小路実篤らしくて。理想というのは、僕は毒にも薬にもなるものだと思います。今日、自然を理想、現実の第3項として持ってきたというのは僕なりの意図がありまして、つまり理想というのは時に暴走するもので、ただ我々が今、脳科学をやっていてわかってきていることは、身体性を忘れなければ脳は大体まずいことにはならないんですね。

 ですから、「新しき村」の方々が、例えば理想と言って、ある言葉だけを弄しているんじゃなくて、実際にいろんな農作業をやられたりとかして、生活されているという身体性がそこに伴っているということがやっぱりすばらしいことだと思うんです。理想が脳にとって毒になるときっていうのは、身体性を忘れるときかなと。

 あまり大きな声では言えませんが、フェミニズムというのは、僕はそういうものだったろうと思います。いないよね、そういう関係者。フェミニズムを言っている人だって、すてきな女の人がいたらでれってなっちゃうに決まっているわけです。それは赤塚不二夫が『天才バカボン』でかいているんですよ。ウーマンリブとか言っている女が、好きな男ができたらでれっとなって、「あなた」みたいになっちゃう。あれはフェミニズムの人から怒られたろうけれども、別にフェミニズムがどうのこうのじゃないんですけれども、女性が自分の身体性というか、それを忘れちゃって、そっちへ走るとおかしくなっちゃうじゃないですか。それと同じことが理想ってあるのかなと思うんですが。

 逆にお伺いしますが、武者小路実篤をご専門にされているっていうことなんですけれども、今というか、一学徒として武者小路実篤をこれからどのように語っていくというか、表現していけば、武者小路実篤のブームとは言わないけれども、また関心が高まって、ご本人の本も売れるとか、注目を浴びるとか、学者として幸せになっていくという、こういう筋がいいかなと何か思っていらっしゃることはありますか。

○瀧田  難しいですけれども、武者小路に理想というレッテルが張られ過ぎて、学生にも武者小路の作品を読ませるんですが、そのときは意図的に『友情』なんかも避けて、もっと初期の『桃色の室』とか、若いころの危ない……、人をたくさん殺してしまうものだとか、恋人も殺してしまうっていう、イノセンスを暴力で表出していくっていう、そういうプロセスを経てから理想のほうに向かっていったんで、きっとそれがさっき茂木先生がおっしゃった身体性とかと結びついて、単なる理想が絵そらごとではなくて、身体性とか、暴力性とかを経過した後に出てきたものなんだということの強調で、現代文化なんかと接続させて、魅力を伝えられるかなと、日々やっております。

 今度は、また僕の質問をさせていただきます。ユートピアというのは、さっきの茂木先生の話だと、妥当な目標設定ということからすると、ちょっとずれて、ドーパミンが出ないようなことにも一見思えるんですが、茂木先生、どうでしょうか。ユートピアというのは脳にとって、ちゃんとドーパミンが出るものなのかどうか、そのあたりいかがでしょうか。

○茂木  おそらく実際にはユートピア自体じゃなくて、例えば仲間から認められるとか、褒められるとか、もうちょっと現実的な要素によって脳は喜びを感じて変化しているんだと思われます。例えば、マルクスだって、もちろん理想を語ったろうけれども、『資本論』という著作を出すことによって、世に認められ、名声が上がりというようなところできっと報酬を得ていたはずなので、人間はそういうちょっと下世話というか、そういうことから絶対離れられないし、離れたらやっぱりおかしくなっちゃうような気がいたしますが、よろしいですか。

 ぜひ、僕じゃなくて、こちらの方に質問はないですか。

○――  座ったままで質問させていただきます。茂木先生、今日はどうもありがとうございました。

 今日、「新しき村」の方たちも来ていらっしゃるということで、ちょっとお聞きしたいことは、このパンフレットを見ますと、大正7年の春に「自己を生かす」、「人間らしく生きる」という社会を実現というふうに書かれているんですけれども、この大正7年に実篤がなぜこういう運動を展開したのか。そのときの時代的な背景といいますか、そういうのはどうだったのかということをちょっとお聞きしたいんです。

○石川  大正7年……、私、大正生まれじゃないんで、答えるのが難しいんですが、当時は働いても働いても食えない時代だったと思います。食えないのに生きていたんですから、おかしいわけですね。そんな働いても食えない時代というのはおかしい。こんな世界があったらいいだろうということを先生が夢というか、あこがれを書いたわけです。こんな世界があったらいいじゃないかというのをあの当時、大阪毎日新聞に発表された。

 書いているうちに、これは人間が本気になればできるはずだ、そういう世界はできるはずだというのが先生のお考えになったわけで、それだったらば自分がやらなければおかしいじゃないかということから、大きな声を出して、新聞に連載を続けたと。それがきっかけでございまして、同士を得て、そしてそれで心強くなって、講演をしながら、土地選びを始めたというのがきっかけでございます。

 村の中に、色紙がかいてございます。「そこは極楽か、いや人間の憧れの生んだ国」というような言葉の詩でございます。「新しき村」というのはそういうつもりのところだと。あこがれというのはいつまでたっても消えないものだと。1ができれば2、2なら3というのが積み重なって、今日の、まだ小さいですけれども、村があるんだというふうに理解しております。

○――  ありがとうございます。

○司会  大正7年に武者小路実篤が「新しき村」の運動を提唱した年は、前年にロシア革命があったんです。同じ年には、日本では米騒動とか、シベリア出兵があった、そんな時代でございました。

 武者小路実篤自身は自分の内部、心の内の中では、10年くらい前からこういった世界にあこがれておりまして、それが大正7年という時代と、また実篤自身の気持ち、生活の中から新しき村を提唱します。それが時代の流れ、多くの人たちが共鳴する状況になり、この運動の展開が大きくなった理由の1つと考えられております。

 ほかにご質問がある方、いらっしゃいますでしょうか。

○――  「新しき村」のこともあんまり存じませんですけれども、90年たったそうなんですが、これからの10年間は一体、「新しき村」はどんなふうになるとお考えなんでしょうか。それをお伺いしたいです。

○石川  大変難しい質問で。先ほど色紙のことを申し上げました。「なるようになる、全力を尽くせ」という言葉が先生の言葉の中にあります。なるようになるんだと、何もしなくていいんじゃないんです。なるようになると、そのときの思ったところで全力を尽くせという言葉がございます。これが大変いい言葉で、好きな言葉なんですけれども、多分、そういう方向で動いていくだろうと。あれもやりたい、これもやりたい、いろいろあります。

 例えば、建物なんかも、あるいはまたできるだけ若い人たちに入ってきてもらいたいというような希望もございますが、こちらが幾ら思ってもそうはいきませんので。だから、できるだけのことで、まず全力を尽くしたいと、こんなふうに考えて、お答えにならないかもしれませんけれども、どうぞそんなふうにおとりいただければと思っています。いいかな。

○安井  どうなんでしょう。

○司会  まだ、あと1人か2人ぐらいお受けできると思いますが。ご質問、ございませんでしょうか。

○茂木  こっちから指名しちゃいますよとか。あっ、あちらの方。

○――  座ったままで失礼いたします。今日はどうもありがとうございました。

 今、埼玉のほうで「新しき村」にいらっしゃる若い方をご紹介いただきましたが、その方が1日の作業の後に、勉強される。通勤の時間がなくて、そういう時間がたっぷりとれるというお話をしていらっしゃいましたけれども、どんなお勉強だったり、どんな本を読んでいらっしゃるのかということを、もし教えていただければ。

 それから、茂木先生も今日みたいな講演をしてくださるときに、ほんとうにぽんぽん読んでいらっしゃる本のお名前が出てきて、私たちは「あっ、そんな、そんな」という感じで、メモするだけで精いっぱいぐらいなんですが、きっとほんとうに本をたくさん読んでいらっしゃると思うんですが、1日にどれぐらいと言うと、ちょっと失礼なんですけれども、どんなスピードで読んでいらっしゃるのかということをちょっとお話しいただけたら思います。

○倉敷  スピードは普通の本で、何も用事がなければ2日、3日でしょうね。最近は、恥ずかしながら大藪春彦のハードボイルドばっかり読んでいますけれども。興味はいろんなことを、広いことを持っているんで、そういうのをそのとき、そのとき読んでいくというような感じです。

○司会  石川さんは、若いころに、トルストイとか、いろんなものをお読みになったと伺っていますけれども。

○石川  トルストイについては村へ入る前にほとんど全部のものを読んでいます。私の読み方というのは、評論は読まないんです。まず、日記に至るまで全部読んでしまって、自分である程度……、それから評論を読みました。評論家というのは、読んでみて感じるのは、随分、乱視もいれば近視もいるなというような感じです。ただ、大物のロマン・ローランだとか、武者小路実篤先生だとかの評論というのは、やっぱりおもしろいです。多少、眼鏡の度合いがその人らしい眼鏡ですけれども、一般にただ書いてあるのはおもしろくないです。とにかく、全部、読んで、村へ入ってからはむしろ先生のものをかなり中心に読んできましたね。村へ入ってから『幸福者』を読みましたけれども。

 私、武者小路実篤先生のものでまず一番先に薦めるのは『幸福者』です。それから、私の座右の書というのは、今で言えば『論語私感』です。先生の論語を書いた『論語私感』。これは先生が孔子というのを、一般論じゃなくて、孔子様というものじゃなくて、先生を通した孔子様像をつくっていると思うんですが、随分参考になります。そんなようなものを中心に村では読んでまいりました。

 先ほど、ちょっと1日の仕事の中でと、村の中で私が仕事が終わって自分の部屋に戻るのが大体9時近くでした。それから、今日は脚本朗読をやろうじゃないかというようなことで、当時、3人いた仲間で共通して好きだったのがチェーホフでした。チェーホフの『桜の園』を読んだり、それがとにかく1人1役でもって、ずんずん回そうじゃないかと。ちょっと長いせりふになると、隣のが眠っているというような、それぐらい疲れてしまうんですよね。

 そんなようなことで、「おい、君の番だよ」と言うと、ちょっと違うせりふをまた言う、1つ先へ行ったのを読み出したりというようなこともありましたけれども、それが随分、身になったというふうに思います。これからの村でも、どういうものを読まれるか知らないけれども、そういう形の変遷は出てくるだろうなというふうに思っています。

○司会  ありがとうございました。それでは、そろそろお約束のお時間ですが、最後に一言、茂木先生に今日の会の総括を。

○茂木  ありがとうございました。僕は読書ということで言うと、電車の中で『存在と時間』を読んでいるような女の人に弱いです。そういう女の人がいたらいいな……、それは冗談です。

 今日は、でもほんとう楽しかったですね。僕、強く思ったのは、ここへ来る前に、こちらの方々と皆さんで御飯を食べていたんですけれども、この場というか、先ほど「村では命令ということがない」とおっしゃっていましたけれども、この場の雰囲気をつくり出している文化というか、それが武者小路実篤さんから綿々と受け継がれてきている何かで、すごくさわやかな、ここが白樺の林みたいな気持ちになりましたけれども、とても楽しかったです。どうもありがとうございました。

○司会  どうも今日はありがとうございました。また、これからもご活躍いただきたいと思います。皆さん、今日はどうもありがとうございました。(拍手)